レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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汚れた英雄に登場するマシン (ganriki.net)
を14日朝に公開、同日夜に一部修正、加筆して再公開しました。
もう40年以上前の映画です。当時、レースの映像を見られることは少なかったのですが、この映画を初めてテレビで見た時は感動しました。録画もしていたので何回も。
4輪の映画ではスチーブ・マックィーン主演の「栄光のルマン」がありますが、ストーリーはどうでもよくて、真の俳優はポルシェ917K、917Lとフェラーリ512Sだと思います。
2輪の場合、走行シーンにはライダーの姿、動きが不可欠で、この映画の真の俳優は平忠彦、木下恵司、上野真一、TZ500、0W53、0W60です。
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文部科学省スポーツ庁、平忠彦氏を『文部科学省スポーツ功労者』として顕彰 (オートスポーツweb) - Yahoo!ニュース
私が平さんを初めて見たのは1979年日本GPジュニア350㏄のレースです。すでに「スーパージュニア」と言われていましたが、日本GPでも独走でした。44年前ですね。
それ以外に印象に残っているレースに1984年日本GP500㏄(優勝)、1986年日本GP500㏄(優勝)があります。
また、1989年日本GP500㏄の公式予選終了直前(だったかな?)でトップタイムをマークしたことも記憶に残ります。そのタイムを記録した時、私は最終コーナー近くにいたような記憶ですが、私の近くに河崎裕之さん(引退後)がいたようなおぼろげな記憶もあります。
下の写真は1984年ベルギーGP500㏄です。
kaneko hiroshi on Twitter: "文部科学省スポーツ庁、平忠彦氏を『文部科学省スポーツ功労者』として顕彰 https://t.co/NBGYYjI1id" / Twitter
1戦前のオランダGP500㏄が平さんの世界GP初出場で6位入賞、このベルギーGPでも6位入賞でした。初めて走るサーキット、しかもコースの一部が公道だったことを考慮すれば、なかなかのものではないかと思います。
RD05/RD05A YAMAHA (ganriki.net)
に1965年イタリアGPの写真を追加しました。すでに掲載していた写真のエンジン部分を拡大したものです。
「RD05は空冷で、水冷化した際にRD05Aと名称変更」
「RD05は90度VでRD05Aは70度V」
というようなトンデモ記事が絶えませんが、少しでも正しい理解に繋がればと思います。
ウェイン・レイニーの元にある1990年型ヤマハYZR500(0WC1)です。
エンジン番号はYZR500-E-9003のようですね。フレーム番号もYZR500-B-9003のようです。
エディー・ローソンに割り当てられたフレーム番号等は9001、9002で、レイニーが9003、9004だったようです。
こちらにもアップしました。
0WC1 1990YZR500 (ganriki.net)
2ストローク単気筒・背面ロータリーディスクバルブ吸気エンジンです。
1983年 TZ125R(0W37改) - コミュニケーションプラザ | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
1984年当時はYSP豊橋南にあったようです。
250_YamahaNews_J_1984.pdf (yamaha-motor.com)
私は1985年に東海地方の別の場所で見ました。同じマシンだと思います。もう38年前のことですね。
そして、2005年に関東地方で見たのも同じマシンだと思います。その場所のオーナーにお聞きしたところ、東海地方云云ということでしたから。
最終的に安住の地を得たようですね。