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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハオートセンター(レッドバロン)特別仕様のRZ250

 某駐屯地に置かれていました。


 当時のパンフレットから
今なお人気で価格も高騰中! 誕生40周年を迎えたヤマハ・RZ250ヒストリー【2020年で○周年!のモデルたち】 | モーサイ (mc-web.jp)



 塗装等では前フォークぐらいしか違いが分かりません。当時、300台限定だったということですが、オリジナルの塗装のままなのでしょうか?

 輸出用にこのカラーリングのものがあったようですが、今回のもののバックミラーは国内仕様です。


 駐屯地所在地の管轄陸運局とは遠く離れた陸運局のナンバープレートでしたので、転勤族の幹部自衛官の愛車なのかな?



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商標権の侵害?

(5) motodowellの姐 on X: "「RZ-25の署名活動をお願いします」 ヤマハ発動機株式会社様より、RZ-25の車体に「モトドーウェル」で「YAMAHAステッカーを貼るな」と要請されてる事に対して、今後もカスタムへの無駄な制限を設けないために、これの撤廃を要求します。… https://t.co/r4CvuvQVUS" / X (twitter.com)


 1980年発売のヤマハRZ250のデザインを模倣した完成車を製作して商売している法人の言い分です。

 本当にヤマハ発動機からの要請だとすると、ヤマハの対応は寛容だと思います。

 ところで、「RZ250」という商標は次のとおり出願がされていますが、

出願日 令和5(2023)年 4月 12日
先願権発生日 令和5(2023)年 4月 12日
公開日 令和5(2023)年 4月 20日

 しかし、次のとおり拒絶されています。

起案日  令和 5年 9月12日
適用条文 第3条第1項第5号
 この商標登録出願については、商標登録をすることができない次の理由がありますので、商標法第15条の2(又は同法第15条の3第1項)に基づきその理由を通知します。
 これについて意見があれば、この書面発送の日から40日以内に意見書を提出してください。
 なお、意見書の提出があったときは、商標登録の可否について再度審査することになります。

 すでに40日経過していますが、意見書提出期限の延長請求が行われています。

特許情報プラットフォーム|J-PlatPat [JPP] (inpit.go.jp)

レジェンドライダー

「汚れた英雄」のモデルにもなった “伝説のRacingチーム”を知っていますか? “最速の男”たち、 “本物の男”とは、何と“謙虚な人々”なのか「素晴らしき人間性」に恐れおののく、日本、レース界のレジェンドが一堂に会す!|ワールドジェットスポーツマガジン (wjsm.co.jp)

 多くの面々の中で、私が現役時代の走りを見たのは、片山さん、水谷さん、清原さんです。ただ、片山さんは早くから世界GPに参戦しており、1976~1980年には日本国内レースで走りませんでしたし、ホンダと契約してからも日本で走るのは限定的でしたから、私が見たのは1982年日本GPプラクティス(レースは台風で中止)、1984年日本GPだけでした。
 ただ、1979年にお会いしてサインをいただき、握手していただいたのが大きな思い出です。

 いろんなイベントで走るのを見たのは本橋さん、北野さん。宇野さんもあるイベントでお見かけしたことがあります。

 ところで、記事中、本橋さんの紹介で、
「1966年(昭和41年)日本125cc3位、1967年(昭和42年)マン島125cc3位、日本250cc2位と、GPレースで3つの表彰台を獲得した。」
とありますが、赤字は250㏄の誤りです。

 ヤマハの公式サイト
本橋明泰 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
でも間違えていますので、この間違い記事を引用したのでしょうか。

 ヤマハの公式サイトでも、こちら
1966年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では、本橋さんが1966年日本GP250㏄で3位入賞したとしています(正解)。

 ただし、「The Riders & The Machine」の250㏄マシンでRD05Aとなっているのは誤りで、本橋さんとMike DuffはRD56、他のライダーがRD05です。そう、リード、アイビー、長谷川が水冷70度V型4気筒のRD05に乗ったのに対して、本橋さんは空冷並列2気筒のRD56を与えられ3位入賞したのです。


 1966年日本GPでの本橋・ヤマハRD56






 

汚れた英雄に登場するマシン

汚れた英雄に登場するマシン (ganriki.net)

を14日朝に公開、同日夜に一部修正、加筆して再公開しました。

 もう40年以上前の映画です。当時、レースの映像を見られることは少なかったのですが、この映画を初めてテレビで見た時は感動しました。録画もしていたので何回も。
 
 4輪の映画ではスチーブ・マックィーン主演の「栄光のルマン」がありますが、ストーリーはどうでもよくて、真の俳優はポルシェ917K、917Lとフェラーリ512Sだと思います。

 2輪の場合、走行シーンにはライダーの姿、動きが不可欠で、この映画の真の俳優は平忠彦、木下恵司、上野真一、TZ500、0W53、0W60です。

文部科学省スポーツ庁、平忠彦氏を『文部科学省スポーツ功労者』として顕彰

文部科学省スポーツ庁、平忠彦氏を『文部科学省スポーツ功労者』として顕彰 (オートスポーツweb) - Yahoo!ニュース

 私が平さんを初めて見たのは1979年日本GPジュニア350㏄のレースです。すでに「スーパージュニア」と言われていましたが、日本GPでも独走でした。44年前ですね。
 それ以外に印象に残っているレースに1984年日本GP500㏄(優勝)、1986年日本GP500㏄(優勝)があります。
 また、1989年日本GP500㏄の公式予選終了直前(だったかな?)でトップタイムをマークしたことも記憶に残ります。そのタイムを記録した時、私は最終コーナー近くにいたような記憶ですが、私の近くに河崎裕之さん(引退後)がいたようなおぼろげな記憶もあります。


 下の写真は1984年ベルギーGP500㏄です。
kaneko hiroshi on Twitter: "文部科学省スポーツ庁、平忠彦氏を『文部科学省スポーツ功労者』として顕彰 https://t.co/NBGYYjI1id" / Twitter

 1戦前のオランダGP500㏄が平さんの世界GP初出場で6位入賞、このベルギーGPでも6位入賞でした。初めて走るサーキット、しかもコースの一部が公道だったことを考慮すれば、なかなかのものではないかと思います。

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