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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハTZ500

 こちらのヤマハ0W45(1979年型YZR500)の記事で、1980年型TZ500について少し触れています。
OW45 YAMAHA (ganriki.net)

 で、1981年型はスイングアームが太くなる等の改良を受け、最終型となる1982年型では外側2気筒が後方排気になります。

 で、このマシン
TZ500 - / Twitter
 
 ですが、4気筒とも前方排気なので1980年型か81年型。スイングアームからすると1981年型ですね。1980年型に1981年型スイングアームを装着したマシンの可能性もありますが。






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ビルジニオ・フェラーリとヤマハ0W70

 ヤマハ0W70(1983年型ヤマハ500)はロータリーディスクバルブ吸気でしたが、0W76(1984年型ヤマハ500)にはロータリーディスクバルブに加えクランクケースリードバルブ吸気もあり、エディー・ローソンはシーズン当初からクランクケースリードバルブエンジンを使用しました。そして開幕戦南アフリカでの勝利を含め4勝を挙げ初の500ccタイトルを手にします。

 さて、ローソンが所属したチーム・アゴスチーニのもう一人のライダーはビルジニオ・フェラーリでしたが、彼のチーム内の地位は低く、なかなかリードバルブエンジンは与えられませんでした。1979年ランキング2位だったフェラーリも、ケガの影響で1980年以降の戦績は惨憺たるものでしたから、リードバルブエンジンの数が不足していたのなら止むを得ないとは思いますが・・・
 
 そのフェラーリが1984年シーズン前、0W76ではなく0W70をテストしている写真がありました。

写真1
写真2


 この写真が撮影された時期は不明ですが、フェラーリの皮ツナギにはYAMAHAのロゴがあり、チーム加入後か加入内定後と思われます。

 0W76ではなく0W70に乗った理由は0W76が間に合わなかったからでしょうが、そもそも1984年シーズン当初は0W70に乗る予定だったかもしれません。


 フェラーリが乗った0W70は旧型サスペンション車ですが、
〇フレームバックボーン部に点火コイルが装着されていない
〇シートレール部に(テールカウルを固定するための)ネジ穴がある。
〇スイングアーム下部に補強がない。

 ことから、1983年シーズン前半に用いられたものと思われます。1983年最終戦サンマリノのプラクティスでカルロス・ラバードが乗った

と同一マシンかもしれません。フェアリングは交換されていますが。
 また、前輪は17インチで後輪は18インチです。

 

ヤマハ0W23は1974年に世界GPで勝っていない

 ヤマハは1973年に2ストローク500㏄並列4気筒の0W20を世界GPに登場させ、1974年には後サスペンションをモノクロスに変更し、ジャコモ・アゴスチーニ、Teuvo Länsivuoriに与えました。
 そして、500㏄第7戦ベルギーGPで新型500㏄並列4気筒の0W23がアゴスチーニに与えられ、アゴスチーニは2位入賞しました。

 
 そしてLänsivuoriが次戦スウェーデンGPで優勝します。これがヤマハにとって1974年最後のGP500優勝でした。
OW20-OW23 (ganriki.net)


 ヤマハのこちらのサイト
Movistar Yamaha MotoGP |Bikes
では、0W23が1974年、1975年に6勝したことになっています。ヤマハは1975年500㏄クラスで5勝していますので、6-5=1勝は1974年ということになります。第7戦で0W23が登場したので第8戦スウェーデンの勝利が0W23によるものだとしているのでしょう。

 何回も繰り返しますが誤りです。
 こちらでは1974年のヤマハファクトリーの3勝は全て0W20によることになっており、これが正解です。
YZR500(0W20) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)


 これはベルギーGPスタート前の写真。
Classic GP: Spa-Francorcamps 1974 - Classic Racer
 

 ゼッケン4がアゴスチーニ、64がLänsivuoriで、アゴスチーニの0W23がLänsivuoriの0W20よりずっとスリムなことが分ります。

 そして、これが第8戦スウェーデンのスタート前。

 元はカラー写真で、こちらにあった。
Photo Album (e-monsite.com)


 ゼッケン3のLänsivuori、ゼッケン2のアゴスチーニの何れのマシンも同じ0W20で、フェアリング下部のみ異なることが分ります。
  第4戦イタリアでの写真と比較してみてください。



 スウエーデンGP500㏄の優勝マシンは0W23ではなく0W20です。

 0W20と0W23の区別がつかない人にとってはどうでもいいことなのでしょうが。

 





 












ヤマハRD05Aが1971年シンガポールGPで走った?

 ヤマハのメカニック(だった)斎藤静生さんへの取材だそうです。

YOSHIMURA NobuyaさんはTwitterを使っています 「@FeliceAki それです。藤原選手のYZR500押してる御大の写真を見て、そういば斎藤さん「初の海外レースは本橋さんのRD05A担当だった」と仰しゃってたな…と思って、う~んと前にもらったメモを読み返したら『1971年シンガポールGPにて長谷川R、本橋R参戦:海外レース初出張』と書いてあったというわけです。」 / Twitter

 ホンダは1967年を最後に世界GPから撤退しましたし、ヤマハもRD05Aを世界GPで走らせたのは1968年が最後です。既に1970年から250㏄世界GPが2気筒・6段変速に制限されることが決まっており、RD05Aの開発は遅くとも1968年シーズン終了時点で終了していたはずです。

 RD05Aは1969年4月のシンガポールGPを走っていますが、その後、1971年シンガポールGPまでレースを走らなかったとするなら、1971年シンガポールGPまで2年間もブランクがあったことになります。

 1969~70年の2シーズン、空冷2気筒市販レーサーTR2(350cc)・TD2(250cc)が十分な実績を示していたにも関わらず、2年間、レースはもちろんヤマハテストコースを走ることがなかったであろうRD05Aをメンテナンスして1971年シンガポールGPのために走らせる必要性があったのでしょうか?RD05Aの出力がTR2を上回るとはいえ。

 それとも2年間、RD05Aのメンテナンスとテストを継続していたのでしょうか? 何のために?

 
 RACERS Volume 02(2010三栄書房)では斉藤さんについて次のように書かれています。

「入社3年目の’67年から研究2課に所属し、RD05A、RA97を皮切りに、YZR500/250の実験と実戦の両方でメカニックを務め~」

 1971年シンガポールGPが斉藤さんの初海外出張とするなら、研究2課所属5年目ということになりますが、すこし遅すぎるように思います。

 こちらはシンガポールのナショナルアーカイブにアップされている1971年シンガーポールGの写真
Track photographers at the Singapore Grand Prix 1971 at … (nas.gov.sg)

Start of the motorcycle race during the Singapore Grand Prix … (nas.gov.sg)

 ゼッケン10は優勝したジェフ・ペリー(スズキTR500(XR05))。

 ゼッケン20はTR2です。空冷冷却フィンが見えます。
Motorcyclists preparing to ride their motorcycles before the … (nas.gov.sg)

 ゼッケン77もTR2です。
A motorcyclist preparing to ride his motorcycle before the … (nas.gov.sg)

  ゼッケン105の大きな写真はないようですが、これもTR2のように見えます。

 これらの写真のレースは、TR500が走っていることからオープンクラスのようですが、これとは別に250㏄クラスでRD05Aが走ったのでしょうか?TD2が1970年250cc世界GPチャンピオンマシンになった翌年に、なぜRD05Aを走らせる必要がある?

 これらのことから「1971年シンガポールGP」のメモは誤りの可能性が十分あると思います。

 さて、
RD05A YAMAHA (ganriki.net)

 では、1968、1969年シンガポールGPのことについて触れていなかったので、これを加筆しました。
 また、現存する1968年型RD05Aを「1967年製作」とするネット記事、雑誌記事がありますので、これについての私の意見も加筆しています。



 

ヤマハ0W82(1985-86年型YZR250)

YZR250-86 OW82 (ganriki.net)
を公開しました。7~8月にブログで書いた内容をまとめたものです。1985年の記事が増えていますので、ご覧ください。

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