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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

献体を前にしてピース

https://news.yahoo.co.jp/articles/087fe6d426dc86c47466a0ea704d5a1fa4be8450

 私自身に置き換えての感想です。

 肉親の死は悲しくつらいことです。しかし、葬儀の直前はなぜか元気に振舞っていました。そうしないと精神状態が持たなかったのではないかと思います。もちろん、葬儀中はそんなことはないのですが。

 もし、私が献体の解剖をするとなれば、それはつらいことですし、できればしたくない。しかし、しなければならないという板挟みの中で、努めて明るく振舞おうとするかもしれません。ですから、「私は解剖前に「ピース!」など絶対にしない」と言い切れる自信はありません。

 「痛み」という知覚でも、痛みを感じる神経と痛みを抑制する神経があります。アルコール飲酒で興奮したように見えるのは、興奮しているのではなく、脱抑制(抑制系がアルコールで阻害)によるようです。
 表に現れる精神状態も興奮と抑制の綱引きの結果ですから、私のように弱い人間ですと興奮が勝ってしまう可能性はあるとしか思えません。

 もちろん「解剖前のピース」は恥ずべき行為ですし、それをSNSで晒すのは非人道的な行為です。ですから件の女医はひたすら自らの行為を反省するしかありませんし、何らかの処分(期限付き医業停止等)がなされるべきだと考えます。

 しかし、度し難いのは女医ではなく統括院長です。冷静な立場でなければならない者が問題点を全く認識せず、「日本の医療の進歩を妨げているのはどちらの方なのか今一度考えて頂きたく思います」に至っては特権意識丸出しで吐き気すらします。

 一方、他の医師の中には「美容外科と俺の内科と一緒にしないでほしい」というようなことをおっしゃる方がいます。これも形を変えた特権意識でしょう。
 私は美容外科は重要なものだと考えます。事故で顔をケガした人はもちろん、異常を抱えて生まれた人にとって美容外科は不可欠ですし、その技術には驚かせられます。そうではない大人の美容であっても、何らかのコンプレックスを抱えてつらい思いをされた方が美容外科で救われるならいいことでしょう。美容外科は直接命を救うことはないとは思いますが、間接的に命を救うことがあると思います。


 人間いつも100%の行動ができるものではありません。美容外科医であっても内科医であっても、求められるのは問題医師に対する非難と「私もそういうことをする可能性がある」という自戒であって、「医師は特別」、「内科は特別」という特権意識ではないのです。
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最高速(7)

 前回と同様な方法で1986年のGP500マシンについて考えます。

 ポール・リカールでのレース序盤を想定し、次のとおり設定します。

●直線に入って全力加速開始時の速度150km/h
●出力150PS
●直線での平均出力141PS(回転数が変化するので)
●出力伝達効率0.87
●後輪平均出力=141×0.87=122.7PS
●バイク重量225㎏(水、オイル、燃料(20㎏)、ライダーを含む)
●真の最高速=305km/h

 150km/hから305km/hに達するまでの走行距離、走行時間を計算したのが次のグラフです。
 制動開始までの走行距離を1600mとすると、ポール・リカールでの最高速は301.5km/hあたり、所要時間は22秒程度になります。

 実際はどうかというと、前に紹介した次の映像では22秒程度ですので、概ね同じといっていいでしょう。



 ちなみに、燃料を10kg減らすと、

最高速=302km/h程度
所要時間=21.6秒程度

になります。

最高速(6)

 前回、「直線距離1.8km程度のサーキットにおける、120~125PS※のレーシングマシンの当時の最高速(無風状態)は280km/h前後だったと思われます。」と書きました。

 で、次のように仮定して真の最高速がどれくらいか考えます。

●直線に入って全力加速開始時の速度200km/h
●出力122PS
●直線での平均出力115PS(回転数が変化するので)
●出力伝達効率0.87
●後輪平均出力=115×0.87=100PS
●バイク重量225㎏(水、オイル、燃料、ライダーを含む)

 
 さて、

バイク加速の
仕事率後輪平均出力 ー 空気抵抗相当出力 ー 転がり抵抗出力


です。何回も書いたように、空気抵抗(力)は速度の2乗に比例して増大し、空気抵抗に相当する出力(仕事率)は速度の3乗に比例します。ですから空気抵抗相当出力は速度上昇と共に加速度的に増大します。
 一方、ころがり抵抗(力)は計算上一定とします。したがって転がり抵抗に相当する出力は速度に比例します。

 これらのことから200km/hから1km/h毎の加速度、走行時間、走行距離を求め、走行距離を積算します。


 仮に真の最高速を284km/h、その時の
空気抵抗相当出力:転がり抵抗相当出力=19.7:1
として、次のグラフを作成しました。


 横軸が速度、左縦軸が走行距離、右縦軸が加速仕事率です。

 速度上昇に伴い加速仕事率が大きく低下し、(図にはありませんが)加速度はそれ以上に大きく低下します。280km/hまでの走行距離は1420mとなり、前提となった直線距離1800mに近い数字なりました。

 そして、
 真の最高速を290km/hとすると、280km/hに達する距離は1050m

 真の最高速を300km/hとすると、280km/hに達する距離は809m

となり、前提直線距離1800mと乖離してしまいます。

 ですから、このマシンの真の最高速は284km/h前後ではないかと推測します。


 


 

最高速(5)

 1981年型以前のヤマハYZR500の袋井テストコースでの最高速は次のとおり。
 エンジンテクノロジーNo20(2002-5月、山海堂)中の記事(塩原正一(ヤマハ))から1981年型以前の数値を切り出したものです。



 最近の袋井テストコース。

 ストレート(右上から左下に走る)の長さは1.6km程度ですが、最終コーナーの半径は250m程度、第1コーナーの半径は600~700m程度と思われるので、実質的な直線長はポール・リカール(1.85km程度、下図)を少し上回るように思います。


 下写真で分るように、現在はストレート終わりにシケイン(下側矢印)が設置されています。また、その手前にも細いシケインらしきもの(上側矢印)もあります。

 出典では1983年にコース改修、1988年にシケイン増設とありますが、過去の航空写真を見ると、シケインの位置、形状は何回か見直されているようです。しかし、1981年以前は(少なくとも)最高速に影響するような改修は行われていないようです。

前回紹介した1977年、1980年のポール・リカールでの最高速は次のとおりで、上の袋井テストコースでのYZR500の最高速とほぼ同じ数字です。

1977年 
178mph(286km/h) スティーブ・ベーカー(ヤマハYZR500(0W35))
171mph(275km/h) バリー・シーン(スズキRG500(XR14)) 2位かどうか不明
1980年 
176mph(283km/h) ランディ・マモラ(スズキRGB500(XR34))

 これらの数字からすると、直線距離1.8km程度のサーキットにおける、120~125PS※のレーシングマシンの当時の最高速(無風状態)は280km/h前後だったと思われます。


 なお、最高速は風向・風速の影響を大きく受けます。例えば風速1m/s(3.6km/h)の弱い風であっても、向かい風と追い風では7.2km/hの差を生じますので、上の数字のばらつきは不思議ではありません。

※1980年型スズキRGB500(XR34)の最高出力は125HP(TEAM SUZUKI(by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House  2008)による)。



開業当時の鈴鹿サーキット

  
 貴重な映像です。1962年の竣工式、全日本選手権、1963年日本GP(四輪)、1974年JAF GPが収められています。

 1962年にホンダが鈴鹿サーキットを開業したことは、どのように賞賛しても賞賛しきれないほどの偉業であったと思います。そのホンダが日産と経営統合する・・・複雑な気持ちになります。

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