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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

開業当時の鈴鹿サーキット

  
 貴重な映像です。1962年の竣工式、全日本選手権、1963年日本GP(四輪)、1974年JAF GPが収められています。

 1962年にホンダが鈴鹿サーキットを開業したことは、どのように賞賛しても賞賛しきれないほどの偉業であったと思います。そのホンダが日産と経営統合する・・・複雑な気持ちになります。
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最高速(4)

 500㏄GPマシンが走ったコースで直線部分が長かったのがポール・リカールです。直線の長いコースとしてはザルツブルクリングもありますが、この直線(緩いベンドを含む)は1.4~1.5km程度で、ポール・リカールの裏ストレートの長さは1.8kmとされています。
 図等からすると、実際は1.85km程度ありそうです。
 



 なお、この図は最近のコース図に加筆したものですが、各コーナーについては1980年代から少し変更されている可能性があります。

  1986年フランスGP500㏄、裏ストレートは56秒あたりから。

 
 1984年フランスGP500㏄、裏ストレートは1分2秒あたりから。


 この1984年フランスGP500㏄の予選での最高速測定は

1位 300.1km/h ロン・ハズラム(ホンダNS500)
2位 299.3km/h フレディー・スペンサー(ホンダNSR500)

でした(ライダースクラブ1984-9、枻出版※1)。

 GP500マシンがGPサーキットで300km/hを初めて超えたのはこの時ではないかと思います。


 ポール・リカールでのそれ以前の記録※2は

1977年 
178mph(286km/h) スティーブ・ベーカー(ヤマハYZR500(0W35))

171mph(275km/h) バリー・シーン(スズキRG500(XR14)) 2位かどうか不明

1980年 
176mph(283km/h) ランディ・マモラ(スズキRGB500(XR34))


 最高速は風向・風速に大きく左右されますので、1977年で1位と2位の差が大きいこと、1980年の速度が1977年の速度を下回ったことも不思議ではありません。


※1海外記事の日本語訳なので、マイル→メートル換算のミスの可能性あり。

※2 MOTOCOURSE 1977-78、MOTOCOURSE 1980-81による。記事ではmphのみ記載されていたが、計測は(フランスですので)メートル表記で、これをMOTOCOURSEがマイルに換算したもの。上の括弧内の数字(km/h)はメートル→マイル→メートル換算結果なので、元のメートル表記から1km/hの差がある可能性がある。




AV

ただ日産がAV に特化したことが経営危機を招いた事実に変わりはない。」

AV・・・・

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AV-8B ハリアーⅡ
カワサキ AV50

 カワサキAV50の発売は1982年です。今なら「AV」は使いにくいでしょうね。

最高速(3)

  1974年、ヤマハTZ750(694㏄2ストローク水冷並列4気筒)がデイトナ200マイルに登場します。レースは3月10日に行われたのですが、そのクオリファイ(プラクティス)に先立つ3月5日に最高速計測が行われ、ヤマハファクトリーチームの金谷秀夫(TZ750)が191.88mph(308.8km/h※1)を記録しました。

 クオリファイの前に行われたこと、そしてその速度から、下図のインフィールド、ストレート終部のシケインは使用されなかったものと思われます。

 

 シケインなし・インフィールドありの1972年の276.4km/h(スズキTR750、ジョディ・ニコラス)から32km/hも向上したのですが、1972年型スズキTR750の最高出力は100bhp※2で、TZ750のファクトリー仕様の最高出力が115PSだったとすれば、この速度差は出力向上とコースの違い※3である程度説明できます。

 また、速度差の要因としてタイヤの進歩も考えられます。1974年のクオリファイのトップタイムは2分8.06秒(ポール・スマート、スズキTR750(XR11))で、1973年のトップタイム・2分15.70秒(ポール・スマート、スズキTR750(XR11))を7.64秒更新したのですが、このタイム差は出力向上だけでは説明できません。

 おそらく、1974年は
1 タイヤが進歩しコーナーリングスピードが向上したこと
2 低速からの加速区間で(タイヤグリップが向上し)全力加速できなかった区間が短くなったこと
3 タイヤ、マシンが進歩し、バンクでの安定性が向上しスロットル開けられるようになったこと

が大きく寄与していると思われます。1、2についてはインフィールドを使用しないのであれば最高速への影響は僅かなものですが、3は309km/hにある程度寄与していたと思われます。


※1 当時のMC誌、AB誌では307km/hとなっていたが、これも例によって1マイルを1.6000kmとしたもの

※2 出典:TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008
 1973年型は107bhp、1974年型は110bhp。

 出力測定が日本側で行われたのなら、このbhpはメートル法馬力と思われる。また、変速機出力軸での測定だろう。

※3 
下側のベンドを抜けてからの加速距離は2.3kmに及ぶ。また、このベンドも30度程度の曲がりで、しかも半径が大きく10度のバンクだから脱出速度はかなり早いはず。


  

最高速(2)

 1973年デイトナ200の予選で最高速を記録したのは和田正宏のカワサキH2R(2ストローク空冷並列3気筒)で、164.230mph(264.3km/h※1)でした。 
  前年より性能向上しているはずなのに、前年の276.4km/h(スズキTR750、ジョディ・ニコラス)より12km/hも低下していますが、大きな理由はストレート終部にシケイン※2が設けられたためです。


 シケインが設けられたことによって、31度バンクを含めた実質直線長は1.9kmから1.7kmへ短縮されましたし、シケイン手前でフルブレーキを強いられますから、前年より加速距離が300~400m、時間にして4~5秒短縮されたものと考えます。


※1 出典:LEAN, MEAN AND LIME GREEN by Randy Hall, BGH Multimedia 2018
  262.76km/hとする日本語記事もあるが、例によって1マイルを1.6000kmとしたもの。
※2 現在のシケイン(下)は当時より右側に移動しているようで、僅かに元のシケイン跡が残っている。





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