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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

スズキRZ63Ⅱ(1963年型250㏄スクエア4気筒)

については元スズキの中野さんのウェブサイトをお読みください。
1963-世界選手権レ-ス 本文-2

  鈴鹿サーキットで3回のテストを重ねた上で日本GPに出場したとのことですが、米津浜テストコースでもテストが行われたようです。
 サイクルワールド(アメリカ) DECEMBER 1963 | Cycle World にテスト中の写真があり、撮影場所は鈴鹿になっていますが、この風景は米津浜テストコースです。
 
 この写真は日本のThe Motor Cycle(誌)の提供によるものとのことですが、モーターサイクリスト誌のことだと思われます。TEAM SUZUKI by Ray Battersby(Osprey 1982/Parker House2008)によると写真を撮影したのはYori Kandaです。
 Yori Kandaは神田頼樹(かんだ よりき)さんのことで1970年代以降、いわたげんというペンネームでも有名でした(故人)。

 「鈴鹿」とされた理由ですが、
〇サイクルワールド側の勘違い。
〇「米津浜」とすると、スズキ関係者の責任問題になることを避けるためにモーターサイクリスト誌側で「鈴鹿」とした。

の何れかでしょう。



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1961アルスターGP125㏄

1961年、1961年型125㏄・RC144は第2戦ドイツGPで登場しますが、MZ勢に遠く及ばず、RC144E(RC144エンジン)と並行して開発を進めていた2RC143EをRC144F(RC144フレーム)に搭載したマシンが第3戦フランスGPに登場しトム・フィリスの手により優勝、第4戦以降もこのマシンが用いられました。

 1961年、世界GPでホンダ125㏄、250㏄に乗り優勝した外国人ライダーはトム・フィリス、ジム・レッドマン、ルイジ・タベリ、マイク・ヘイルウッド、ボブ・マッキンタイヤ(250㏄だけ乗る )ですが、これら以外にも特定のレースで外国人ライダーがホンダに乗りました。

 思いつくのは、ジョン・ハートル、ヤン・ヒューベルツ、ディッキー・カーター、Pierrot Vervroegenです。

 ハートルは有名なライダーですし、ヒューベルツは1960年オランダGP250㏄でホンダに乗った実績がありました。

 一方、Pierrot Vervroegen(ベルギー)はベルギーGP125㏄が初GPのようです。そして、250㏄で乗ったのはRC161(1960年型)でした。ですから125㏄で乗ったのはRC143E/RC143Fではないかと思われます。

 そして、ディッキー・カーター(エントリーリストではG.G.CARTERになっているので、ディッキーは誤りの可能性がある)はアルスターGP125㏄に出場し1周遅れの12位でした。ゼッケン28がカーターです。 (20+) Facebook

 車体は一見してRC144Fと分ります。そしてフェアリングの奥に見える排気管からするとエンジンはRC144E(シリンダーが10度前傾)ではなく2RC143E(35度前傾)またはRC143E(35度前傾)のようです。




RACERS Volume 76

48頁のランキング表の誤りが多いのはWikipediaを参考にしているためのようで、1980年のランキング表はRACERS Vol.76 TZ500 で校正済ですが、1981年も校正してみました。

 これがWikipedia。



 49頁のランキング表はWikipediaにさらに誤りが追加されたようです。

 下がRACERS49頁のランキング表の校正版で、太字が修正分です。マシンの名称についての元記事の記述が誤りではないなら、加筆しても太字にはしていません。



 RACERS Vol.76 TZ500 からも校正版にリンクするようにしています。

 ところで、1980年と比べると明らかに「出走者不足により得点対象とならなかった順位」が減少しています。1979年まではTZ750が市販されていたといはいえ、その出走台数は少なく優勝しても得点が与えられないことが珍しくなかったのですが、1980年のTZ500国内市販以降、得点対象とならない順位が減少し、それがはっきり表れたのが1981年でした。


スーパーチャージャー

(1) DaDa on X: "1950年NSU 500kompressor DOHCパラレルツインに スーパーチャージャー装備 500ccながら98馬力をマークした怪物レーサー 後に世界GPからスーパーチャージャーは禁止される https://t.co/FqYje4K3vh" / X

 第二次大戦後、スーパーチャージャーは禁止されていました。このマシンは戦後の世界GPは走らず、ドイツ国内レースのみで走ったのです。

 また、ドイツは戦後、1951年まではFIMから締め出されており、ドイツチームが世界GPで走れるようになるのは1952年からです。

GRAND PRIX ARCHIVES 05 最高峰クラスを闘った日本人たち(2)

 119頁の「Riders Plofile」、ところどころ変な記述があります。例えば片山敬済の「翌'76年は~250㏄ランキング2位に。さらに’77年は250㏄ランキング4位になる傍ら、WGP350にも参戦して~ワールドチャンピオンになった」ですが、1977年に初めて350㏄クラスに参戦したかのように受け取れますが、1976年にも350㏄クラスに参戦しランキング7位でした。

 また、高井幾次郎の「~’79年、'81にもWGP500にスポット参戦した。最高位は’79年オランダGPでの14位だった」ですが、1978年スペインにも出場しましたし、最高位は1979年スウエーデンGP、1981年イギリスGPの8位です。


 ところで、水谷勝が1986年オランダGP、ベルギーGPに出場したのに、この本で取りあげられていないのは? フル参戦、フル参戦に近い参戦でないというなら、なぜ藤原儀彦は取りあげられたのでしょうか?




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