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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

SUZUKA Sound of ENGINE(2)

で、1500円のガイドブックを買いました。
すでにオークションに出品されています。
http://page11.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n150008728

「これまで築いてきた歴史やモータースポーツの醍醐味を、さらに多くの方々に伝えていくことを決意いたしました」とあります。

その心意気やよし。そのガイドブックがこの程度なの?

19頁
1988 PEPSI Suzuki RGV-Γ
ボア×ストローク:Φ54×54.5mm→56×50.7mmの誤り
吸気方式:ロータリーディスクバルブ→リードバルブの誤り

他のデータなんて全く信用できない。

20頁 頁上の文章が間違いだらけ。1987年のV型4気筒XR72が全く忘れられている。

36頁 SUZUKI T250 この写真のマシンは1962年全日本選手権(鈴鹿サーキット)で登場した125㏄2気筒RT63X。

37頁 Honda CB125J/JX 説明は1975年のマシンを1972年のマシンと混同している。
 
当時、次の3種のマシンがありました。
 
1970年に発売された単気筒 CB125S
http://www.honda.co.jp/news/1970/2700919c.html

1972年に発売された2気筒 CB125JX
http://www.honda.co.jp/news/1970/2700919c.html

1975年に発売された単気筒 CB125JX
http://www.honda.co.jp/news/1975/2750430.html
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SUZUKA Sound of ENGINE

 行ってきました。
http://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/

 2日間の日程で2日とも見ることができました。2日目の天気予報は悪かったのですが、大外れで晴天でした。

 いつもマシン中心に見ていますが、今回、非常に興味深かったのは、ロバーツ、ローソン、シュワンツの3人によるトークショー。特にローソンの発言に感動しました。

 特に2日目の午前中のトークショーで、ローソンが、ローソンがタイトルを手にした1989年シーズンについて、観客側にいたホンダの技術者の山本さん、メカニックだった小原(こはら)さんを指して、2人に対する感謝の言葉を述べた時にはちょっと涙が出てきました。
 山本さんはローソンと今でもメールのやり取りをしてる(RACERS 2015特別号)そうですから、ローソンも山本さんらが来ることを事前に知っていたのでしょう。
   
 
 1978~1993の16年、この3人で8個の世界タイトルを手にしたのですが、こんな統計上の数字で表すことができないほどの印象を3人は残しています。何をもって「偉大な時代」と言うか、人によって根拠が異なるとは思いますが、私にとってまさに「偉大な時代」でした。

 ロバーツは1983年、ローソンは1992年シーズンを最後にGPから引退。そして1995年シーズン前、シュワンツが1995年限りで引退する意志を示していました。鈴鹿での日本GP、シュワンツのレースシーンを見るのもこれが最後となることを覚悟し鈴鹿に行き、シュワンツのゴールを見届けたのです。そして、結果的にこれがシュワンツの最後のGPレースになりました。あれから20年、私も年を取りました。

韓国

先日、仕事で韓国に行ってきました。
距離が近い国だけに仕事だけの遠征で、韓国に滞在した時間は24時間もありません。
そんなわけで撮影した写真も現地の空港だけです。




利用したのは2枚目と同じ大韓航空です。

往路は気流が悪く激しく揺れ、時間切れで軽食が出なくなるのではないかと思うくらいでした。

帰路はそんなことはありませんでしたが、日本の空港に着陸する時、「ガツン」というショックを感じました。「ガスン」や「ドスン」は今までも感じたことがありますが・・・
 アシアナ航空の事件といい、ちょっと怖いですね。

VITZ 1.0F

 http://vitz1f.ninja-x.jp/index.htm

購入した新車は、再びVITZ 1.0Fです。芸がないなあと思いつつも、また、同じ名前の同じグレードです。

 この車のエンジンはダイハツ製3気筒なのですが、世界初の自動車用3気筒をどこが製作したかは知りませんが、注目されるようになったのは、ダイハツ・シャレード(1977発売)でしょう。
 

 当時、トヨタ・スターレット(FR)を生産していたダイハツがFF車を自主開発したのですが、スターレットより若干小さいサイズを(トヨタに遠慮して)を選択。すると、エンジン横置FFなので、エンジンルームの幅がスターレットより広くなり、タイヤの切れ角が確保できず、スターレットより旋回半径が大きくなってしまいました。

 技術陣はタイヤサイズを小さくすることを検討。当時、軽自動車は10インチタイヤで、スターレットは12インチタイヤでしたが、中間の11インチは規格になく、某タイヤメーカーに検討を依頼すると、とんでもない数のタイヤを購入することが条件、ということで11インチはあきらめ。(軽自動車よりは上のクラス、ということで10インチは選択の余地なし)

 と、エンジン陣から「3気筒にしてエンジン幅を小さくしたらどうだ」という提案。エンジン陣では過去に3気筒の研究を行っており、3気筒バイク・BSA750を購入、これも参考にし、3気筒の振動特性を把握していたのです。そして3気筒の採用が決まりました。

 そんなわけで、事実上、日本が発祥の地ともいえる「3気筒」は、私にとって魅力の一つです。変わり者ですね。
 写真は旧型のままですが、おいおい新型に変更します。

麦の唄

NHKの朝ドラを見ないので知らなかったのですが、先日、本屋に行ったら、この曲が流れていました。
 

 クライマックスの2小節、ロシア国歌(旧ソ連国歌)とほとんど同じですね。

 あの、有名なイエスタデイについて、次のようにいわれています。

 ポールは、この曲が出来た経緯について「就寝中に夢の中でメロディが浮かび、あわててコードを探してスタジオで完成させた」と答えている。また「あまりにも自然に浮かんできたものだから、別の誰かの曲のメロディなんじゃないかと思って、みんなに聞かせて回ったけど、誰もこのメロディを知らないみたいだったから、僕のオリジナル曲だと認識した」とも述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%87%E3%82%A4

 中島みゆき氏も、オリンピックでロシア国歌を聞いたことがあるでしょうから、メロディを自然に思いついたのでしょう。でも、番組スタートまでに誰も気が付かなかったとは思えません。ど素人の私でも気が付くくらいですから。

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