レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
「無為な議論」https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/bariki.htm
で、ジェット機の速度と推力の関係について、日本航空のウエブサイトにあった「航空実用辞典」にリンクしていましたが、「航空実用辞典」が削除されたようなので、書籍版の「航空実用辞典」から図を引用しました。
この図です。
ホンダRC171で、1962年世界GPは全11戦で350㏄クラスは6戦だけだったことを書きました。
1960年代、全クラス開催のGPはマン島TT、オランダGP(ダッチTT)、ドイツGPぐらいで、GPによっては6クラス中3クラスしか行わないGPもあったのです。
下表は各年ごとの全GP数とクラス別のレース数を整理したものです。
備考1 赤太字は全GPで開催されたもの、青太字は「全GP数マイナス1」、黒太字は「全GP数×2/3以下」。
備考2 ( )がある欄は、( )外:予定数、( )内:実レース数。この差は、出走者が少なく世界選手権とならなかったレース(1963年日本350㏄、1964年日本50㏄)、天候不良による中止(1963年フランス250㏄、サイドカー)による。
1960年代、ホンダ、スズキ、ヤマハが競った125㏄、250㏄のレース数が多いことが分ります。
350㏄クラスは人気がないですね。MVアグスタ350㏄3気筒が登場しホンダとタイトルを争った1965年の翌年(1966年)はレース数が増えましたが、1967年のレース数はまた少なくなりました。
50㏄クラスは初年度こそレース数が多かったのですが、すぐにレース数が減少してしまいました。
500㏄クラスは「最高峰クラス」といわれることもありましたが、1958~1965年はMVアグスタ以外に競争力のあるマシンがありませんでしたし、レース数も多くありませんでした。
一方、250㏄クラスはレース数も多く、1963~1967年にはメーカー間のタイトル争いが演じられました。
1961年終盤~1965年に350/500㏄クラスでMVアグスタに乗っていたヘイルウッドがホンダに移籍した理由の一つは、彼が250㏄クラスで競争力のあるマシンに乗りたかったことです。繰り返しますが「理由の一つ」です。
https://x.com/naga_888888/status/1928706195772031355
「大戦時の日本の航空燃料のオクタン価はMONなの 87オクタン言うてもスタンドのレギュラーよりオクタン価低い訳じゃ無いの 直接変換は出来んのだけどMON87でRON92~95に相当するの」
これは第二次世界大戦中の航空機用ガソリン(有鉛)についての話ですので、これが現在の自動車用プレミアムガソリン(無鉛)のオクタン価に当てはまるわけではないのですが、自動車用プレミアムガソリンのオクタン価は
リサーチ法 99.5前後
モーター法 87~87.5程度
です。
リサーチ法についてはこちら。
https://jfrmc.ganriki.net/nd/octane.htm
モーター法についてはデータが少ないですが
〇https://www.jmpsa.or.jp/prg_img2/pdf/pdf2011031415492446409100.pdf
〇超希薄条件で運転する高圧縮比火花点火機関の ノックへ影響を及ぼす燃料の着火特性に関する研究
MFJロードレース国内競技規則※では
「リサーチオクタン価が102.0(RON)、モーターオクタン価が90.0(MON)以下」で「大会特別規則(全日本ロードレース特別規則等)によりガソリンの銘柄および供給方法が指定される場合、それに従わなくてはならない」
とされています。例えばこちらの特別規則
https://autopolis.jp/spa/wp-content/uploads/2019/02/f4bc8606b034ff29bcd84c81ac106af3.pdf
では