https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm
に次の文を追加しました。
(中島の著書)「僕はオランダの知己に「塩崎定夫という日本人が自分自身が鈴鹿サーキットの設計者と名乗り出てフーゲンホルツは飾りである」と発言した事実を伝えていた。僕と交流のあったすべてのオランダ人はこれに憤慨していた~憤慨するオランダ人の中にベテラン・ジャーナリスト、ロブ・ペテルソン氏がいた~フーゲンホルツ氏が自信の言葉によって日本の鈴鹿サーキットを設計した一部始終を記録した記事~を送ってくれた」(文献1・2-3頁)
〇塩崎が語った内容は次のとおりで「フーゲンホルツは飾りである」とは語っていない。
「本田さんは「オマエが作ったコースでは誰も信用しないから、誰かガイジンを連れてこい、ガイジンなら誰でもいい」と言うんです」
「~フーゲンホルツさんの名前を出せばJAFでもどこでも話がスムーズに進みました。当時はそういう時代でした。日本人なら信用しないけど、ガイジンなら信用するというわけです(Racing on 461(2012-1))。
「フーゲンホルツは飾りである」に相当するのはライター氏の「事実上、フーゲンホルツは「名前貸し」、「権威づけ」のために担ぎ出された立場だったようだ」である。中島はライター氏の記事を塩崎の発言かのようにオランダへ伝えたものである。
フーゲンホルツの起用に「日本人なら信用しないけど、ガイジンなら信用する、というわけです」という側面があったことは否めないと思う。FIMにしろFIAにしろ日本の新参者にどういう対応をするか予想できないなら当然のことだろう。塩崎が語った内容は誤りではないだろう。
しかし、この発言だけでは塩崎がフーゲンホルツの貢献がなくフーゲンホルツを飾りと考えていたかどうかまでは分らない。どういう質問をするか、どの発言を記事にするかはライター氏の意図が反映されるからである。
塩崎は2012年に次のようにも語っている。
「誰も知らない日本の塩崎という者がつくったコースでは走ってくれないから、外国人を連れてこいと。知り合いから紹介され、オランダのサーキットを設計したフーゲンホルツ氏にコースの監修を依頼し、来日してもらった。」(日本経済新聞本社版2012/8/28)
この発言は、概略設計全体に対してなら疑問があるが、コースレイアウト設計に関しては特に問題はない。ただし、私は「監修」より「助言」の方が適切だと考える。
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優勝したレースでなくて申し訳ないですが、
1975グレート20ドライバーズレース/FJ1300(9月)の表彰式。
1位 速見 翔
2位 鮒子田 寛
3位 片山義美

50年前も経って写真もかなり色あせてしまいました。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm
に大幅加筆しました。
中島剛彦氏の
https://www.takahikonakajima.com/hugenholtz_forever.html
に反論、ということでスタートした私の記事ですが、ホンダの飯田佳孝氏のインタビュー記事を加筆し、サーキット建設経緯、フーゲンホルツ起用についての私の意見を記事前半にまとめました。
また、フーゲンホルツを推薦したとされるHet MotorpaleisのHans Moerkerkの記事は、中島氏の記事への指摘文の一部でしたが、
別頁にし、フーゲンホルツ起用関係記事からリンクするようにしました。
この記事です。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/motorpaleis.htm
を対比しました。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka3.htm
記事で書きましたが、鈴鹿サーキット用地は丘陵地であること、ため池があることからコースレイアウトに制約があり、例えばヘアピンカーブはヘアピンカーブにしかならない地形だということ、S字周辺、スプーンカーブもため池を避ける位置にならざるを得なかったことが分るでしょう。ただ図2、図3ではスプーンカーブ付近のため池(丸竹池)を埋めることが前提になっています。
また、鈴鹿サーキットに行かれた方ならコース案の変化によって高低差も変わったことがある程度わかると思います。