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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

完成後の航空写真と各コース案

を対比しました。

 https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka3.htm

 記事で書きましたが、鈴鹿サーキット用地は丘陵地であること、ため池があることからコースレイアウトに制約があり、例えばヘアピンカーブはヘアピンカーブにしかならない地形だということ、S字周辺、スプーンカーブもため池を避ける位置にならざるを得なかったことが分るでしょう。ただ図2、図3ではスプーンカーブ付近のため池(丸竹池)を埋めることが前提になっています。


 また、鈴鹿サーキットに行かれた方ならコース案の変化によって高低差も変わったことがある程度わかると思います。



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鈴鹿サーキットコース図と航空写真

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm


 に、1966年の航空写真とフーゲンホルツ案を重ねたものを追加しました。

 
 1962年1月の最終案は航空写真にきれいに重なりますが(当たり前)、これは記事に加えていません。




鈴鹿サーキットの設計者

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm

 の終わりに以下の記事を追加しました。

(6)ジョン・フーゲンホルツ氏が鈴鹿サーキットの設計者である証拠リスト
 例えば次のような記述を「鈴鹿サーキットの設計者がフーゲンホルツである証拠」と主張されている。
 
「設計の権威フーゲンホルツ氏のアドバイスを入れたコース」(モーターファン1962-8)
 
「~このコースはレーシングコース設計の権威フーゲンホルツの助言で設計され~」(科学朝日1962-12)
 
 これは次の理由から「フーゲンホルツが鈴鹿サーキットを全て設計した証拠」にならない。
 
〇フーゲンホルツが著名なサーキット概略設計者であることは論を待たないが、これらの文では「助言」、「アドバイス」とあるので、別の概略設計者、詳細設計者が存在することを示唆しているとしか読めない。
〇この2つの記述はモータースポーツランド、またはホンダの公表資料に頼ったものであり(注)、これに限らず同種の記述の多さは資料の正しさを保障しない。ある記事の真偽は多数決で決められるようなことではない。
〇広報資料の正しさの検証が全くなされていない。
 
 なお、「証拠」は主観的ではなく誰が見ても正しいと判断できるものでなくてはならず、多数決で決められることではない。
 
注 モータースポーツランド(鈴鹿サーキット建設等のために設立されたホンダの子会社)が1962年に発刊した「世界のランキングを求めて」英語版※では次のように書かれている。
 
The Suzuka Racing Circuit was designed with the help of the world's leading racing circuit designer, Mr Hugenholtz. It includes some of the best features of the Italian Monza Circuit and the Dutch Van Drenthe Circuit and has already aroused considerable interest abroad.
 
※日本語版10000冊、英語版2000冊が発刊され、販売店、関係者に配布された。

フーゲンホルツとニベーレ(ニベルス、ベルギー)

 フーゲンホルツが設計に関与したとされるサーキットにベルギーのニベーレ(Nivelles-Baulers)があります。2輪では1976年と1978年にF750レースが行われ、1976年はゲーリー・ニクソン(カワサキKR750)、1978年はジョニー・セコット(ヤマハ0W31)が優勝しました。  
 下図はこのサーキットの1969年のコース案で、設計はフーゲンホルツ、Roger Caignieが行ったとされますが、どちらが主だったのかはわかりません。
 コースは複数の走路が選択できますが、F-1用としては矢印のコースが想定されていました。

https://www.racingcircuits.info/europe/belgium/nivelles-baulers.html

 しかし、1971年に完成したコースは下図です。



 というようなことを

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/nivelles.htm

で書きました。


鈴鹿サーキットのヘアピン付近はし尿捨て場だった?(修正しました)

オートスポーツ1994-6-1にホンダの飯田佳孝氏のインタビュー記事があり、ヘアピンカーブの工事中の写真に「この辺はし尿捨て場だったんです。工事中は臭って臭って・・・」とあります。

 今では考えられないことですが、し尿の海洋投棄、埋立処分は当たり前のように行われていました。瀬戸内海のような閉鎖性海域ですら、1973年3月までし尿の海洋投棄が行われていたのです
 
 近くの亀山市では「し尿が肥料に使われなくなると、山に大きな穴を掘ってし尿をすてていましたが、それでも捨てる場所がたりなくなり、1966年に亀山地域の、1976年には関地域のし尿処理場が完成しました」とされています。

https://kameyamarekihaku.jp/kodomo/w_e_b/rekishi/gendai/gyosei/page006.html

 鈴鹿市では
https://www.city.suzuka.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/009/613/04.pdf

「本市のし尿処理事業は,塵芥処理事業とともに,「鈴鹿市清掃条例」の制定された昭和32年7 月から業務を開始しました。当時は,特別清掃地区に指定した地区内の希望者を対象として収集を行い,農業地域に54ヶ所の貯留槽を設け,無料で農家に提供していました。 現在のように市内全域を対象として計画収集を開始したのは,上野町に嫌気性消化処理方式による処理能力78kℓ/日の「東谷し尿処理場」を開設した昭和40年4月からで~」
 
でした。鈴鹿サーキット周辺は農地ですので、し尿捨て場ではなく貯留槽だと思います。飯田氏の「臭くて臭くて」の理由として
 
〇貯留槽からし尿が溢れていた。特に農地でし尿を必要としない時期に。
〇貯留槽がひび割れしてし尿が漏れてた。地下浸透して周辺の土が臭くなっていた。
 
というようなことも考えられます。

 

 


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