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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

片山義美

優勝したレースでなくて申し訳ないですが、

1975グレート20ドライバーズレース/FJ1300(9月)の表彰式。

1位 速見 翔
2位 鮒子田 寛
3位 片山義美


  
 50年前も経って写真もかなり色あせてしまいました。


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鈴鹿サーキットを設計したのは誰?

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm

に大幅加筆しました。

 中島剛彦氏の
https://www.takahikonakajima.com/hugenholtz_forever.html

に反論、ということでスタートした私の記事ですが、ホンダの飯田佳孝氏のインタビュー記事を加筆し、サーキット建設経緯、フーゲンホルツ起用についての私の意見を記事前半にまとめました。
 また、フーゲンホルツを推薦したとされるHet MotorpaleisのHans Moerkerkの記事は、中島氏の記事への指摘文の一部でしたが、
別頁にし、フーゲンホルツ起用関係記事からリンクするようにしました。
この記事です。

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/motorpaleis.htm


 

鈴鹿サーキット建設予定地

 https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm


に建設予定地の1959年撮影の航空写真等を追加しました。


 これにコース案の原案(第1案)を加えたのが


 溜池を避け、敷地内を通る道路、谷間を陸橋で横切り、谷間を活かし、場所によっては谷間を埋めるなど、立体パズルを解いたようなコースレイアウトです。その後のコース案修正もこの立体パズルの解答があればこそです.

完成後の航空写真と各コース案

を対比しました。

 https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka3.htm

 記事で書きましたが、鈴鹿サーキット用地は丘陵地であること、ため池があることからコースレイアウトに制約があり、例えばヘアピンカーブはヘアピンカーブにしかならない地形だということ、S字周辺、スプーンカーブもため池を避ける位置にならざるを得なかったことが分るでしょう。ただ図2、図3ではスプーンカーブ付近のため池(丸竹池)を埋めることが前提になっています。


 また、鈴鹿サーキットに行かれた方ならコース案の変化によって高低差も変わったことがある程度わかると思います。



鈴鹿サーキットコース図と航空写真

https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm


 に、1966年の航空写真とフーゲンホルツ案を重ねたものを追加しました。

 
 1962年1月の最終案は航空写真にきれいに重なりますが(当たり前)、これは記事に加えていません。




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