レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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今日発売でした。「ヨシムラ空冷時代」です。油冷(実際は空冷)になる1985年の前、1984年までのヨシムラ・スズキ特集です。
この頃の8耐、毎年、見に行っていました(1982年は仕事で行けず)。行かなくなって〇年になりますが、それでもこの時期になるとあの頃のことを思い出します。また、真夏にバイクに乗っていても、8耐を思い出すこともあります。
そんなわけで、マシンについての記述が少ないのはともかく、懐かしく読むことができました。
で、お約束の気になる記述ですが・・・
40頁14行目「耐久選手権はTT-F1規格なので4ストローク」 この頃、ヨーロッパで行われていた耐久選手権はヨーロッパ選手権だが、TT-F1規格ではない。だからこそRCBが走れた。ライター氏は何を勘違いしたのか。
41頁14行目「RCBの♯6は1周目の最終コーナーで転倒、リタイアとなっていた」 スズカの公式記録
http://www.suzukacircuit.jp/motorsports_s/library/img/history/1978-final.gif で周回数1となっている。優勝マシンの周回数194は8時間で194周を走り切ったことを示しているので、「1」は1周を走り切ったことを示している。つまり転倒したのは2周目。
1周目の終わりのストレートで♯6のRCBが遅いマシンの集団をとんでもないスピード差で抜くのを見た記憶がある。
43頁右下写真説明「’74年の世界耐久チャンピオンマシンとほぼ同じ仕様」 世界耐久になるのは1980年。
81頁終わりから11行目「この2次振動は実はやっかいで、2次振動バランサー(クランクの2倍の回転数。理想的にはクランクと逆回転する2次2軸となる)を装備するエンジンもある」
http://www.honda.co.jp/factbook/motor/CBR1100/199607/cbr96-005.htmlでは2次2軸のうち1軸はクランクと同回転方向。そうしないと2軸にする意味が激減する。
84頁右上写真説明「ケイヒンCRキャブはΦ31mmの製品をPOPが仕上げて31.5mmに若干ボアアップ」 当時のTT-F1では、ノーマルサイズの29mmに制限されており、1982年シーズンからこの制限が消えた記憶。
89頁2段8行目「ボルドール24時間で2位」 Samin/GrossのXR69が優勝している。
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今月号の別冊モーターサイクリスト誌 109頁の記事ですが、
右上の写真説明が3気筒のスズキRP68になっていますね。ライター氏はピストンが2つしか写っていないことは認識しているのですが、「信ずる者は救われる」でもう一つのピストン、クランクは外されていると思っているようです。
この写真のエンジンは2気筒RK67のものです。
RP68の2気筒分のアッパークランクケース(他の1気筒のロアークランクケース)はこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/rp68/p8-3.jpg
同ロアークランクケースはこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/rp68/p8-1.jpg
RK67(14速型)のロアークランクケースはこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/rk/k7-2-4.jpg
ライター氏は、これまでRP68もRK67の写真も見たこともなかったし、見たとしてもどこにクランク等が収まり、動力がどう伝わっていくかも分らないのでしょう。
(2/20加筆)もちろん、「14段!」と書いてあっても写真に写っている変速機は12段であることも。
なお、同頁の記事で、
アンダーソンが1963年からスズキチームに加入したことになっていますが、1961年マン島TT250㏄でスポットでスズキに乗り、1962年シーズンはスズキと契約しています。
http://www.iom1960.com/other/anderson.html
アンシャイトが1966年にスズキチームに加入したことになっていますが、1965年最終戦日本GP50㏄クラスにスズキで出場しています。

今月号のバイカーズステーション誌の106頁に全50問のクイズがあります。
実のところ、私はこのようなクイズは好きではありません。今の時代、ネットで検索すれば、正解はたいてい分ります。そんな薀蓄をただ並べることに何の意味があるのかと思います。
とはいうものの、少しだけ反応しますと・・・
38問の「エンジンのビッグエンドとは何のこと」の選択答が
A ツインカムの大きいシリンダーヘッド
B コンロッドとクランクピンの間のベアリング
C エンジンが爆発して壊れること
となっています。
おそらくBが答えだと思いますが、実は正しくありません。ビッグエンドがあるからにはスモールエンドもあります。これはコネクティングロッドの「大きい方の端部」、「小さい方の端部」のことで、それぞれ「大端部」、「小端部」という日本語があります。端部=ベアリングではありません。
43門の「マグネシウムの鋳造ホイールとチューブレスタイヤを最初に装着したレースマシンは」の選択答が
A ジョン・プレイヤー・ノートン
B アーターマチレス
C カワサキKR500
となっています。
レース記録ならともかくメカニズムについての「最初」の判断は難しいものです。ましてこの問のように「最初に装着してレースに出場したマシン」ではなく「最初に装着したレースマシン」ですから、レースに出なくてもよいという条件になると世界初を探すことは事実上困難ではないでしょうか。
仮にこの問が「最初に装着してレースに出場したマシン」だったとしても、レース記録にそのことが残っているわけではありませんし、写真が残っていたとしても、キャストホイールの材質や、タイヤがチューブ入がチューブレスかは分りません。何が最初かを特定するのは困難なのです。
http://peterwilliamsmotorcycles.com/innovations/
で、Peter was a pioneer in his field and was
one of the first to design and race
with disc brakes, cast magnesium wheels and tubeless tyres, literally
reinventing the wheel.
とあるのは、そのような意味だと思います。

1月4日発売のRACERSは、special issueとして、1983年のスペンサーVSロバーツに焦点を当てた記事となっています。ホンダ、ヤマハの日本側の関係者への新たな取材はないようで、スペンサー、ロバーツへの取材+ライター氏の記事で構成されています。
1983年のヤマハ0W70に2種類の後サスペンションがあったことが知られていますが、今回のRECERS 25頁のロバーツ回想記事では「~コースとの相性があるようで、従来のレイダウンとどちらが良いかは毎回両方を試してから決めていた。スパ(注:ベルギーGP)で新しい方を使ったのは覚えている。でも、その次のシルバーストーン(注:イギリスGP)では使わなかった気がする」
とあります。これは
http://jfrmc.ganriki.net/ow70/ow70honbun3.htmで、ロバーツが新型後サスペンション車を用いたのはベルギーGPのみとしたことを一部裏付けています。
一方、29頁のライター氏の記事では「後者(注:新型)がメインで用いられたが、コースによっては前者(注:旧型)も用いられ」とあり、新型後サスペンション車が主に用いられたことになっています。ライター氏がこのように書いた根拠を知りたいところです。
今月号の「風まかせ」の記事です。
〇河崎裕之がヤマハファクトリーを離れ、ヤマハ名古屋提供のTZ750で国内レースを走ったのは1974年ではなく1976年です。その他の記述も1974年と1976年がごちゃまぜになっています。1975年のデイトナ200に河崎が出場しているのですが・・・
〇128頁の写真は1982年ではなく1981年です。
〇高井幾次郎が事故死したのは1983年ではなく1982年です。ですから関連する記述も間違っています。
購入しなかったので、細かいところはチェックできていません。