レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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某誌の12月1日発売の号の記事。
東京モーターショーの取材記事ですが、メーカーの説明員にインタビューした内容がそのまま掲載されています。
で、スズキのターボ車の記事ですが、
・私は1980年代の日本のメーカー各社のターボ車の試乗をしたことがある。
・ターボチャージャーで排気ガスの熱が給気ガスに伝わるのでインタークーラーが必要なのか?
というようなことが書いてありました。
無知なのは仕方がないとしても、無知なことを自覚せずそのまま記事にするのですから、どうしようもないですね。こんな記事をありがたがる読者がいるのでしょうか?
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阿部典史が乗ったYZR500を取り上げています。この頃のヤマハ500はローソン、レイニーが去った後、基軸となるべき優れたGPライダー不在でマシン開発の方向性が定まらなかった混迷の時期でした。
で、ちょっと読んで気になる箇所。
77頁
○「久しぶりにスライドバルブ型YPVSを装備した0WJ1エンジン」とあります。しかし写真では鼓型に見えますが・・・70、71、74頁の写真でもそうです。
78頁
○1996以降のボア×ストロークが54×54mmで、排気量499㏄になっています。54×54ですと495㏄なのですが・・・ヤマハのこれまでのサイトでも54×54mmですが、実際は54×54.5mmなのでしょうか?
○1993~1997のキャブレターのパワージェットの有無が「無」になっていますが、66~67頁の写真ではパワージェット有に見えます。
74頁
○「ボアが大きい方がポート面積を稼ぎやすく」
よく勘違いされますが、逆です。56×50.7と54×54を比較すると、
シリンダー周長 56>54の比率で前者が大
ピストン摺動高 54>50.7で後者が大
で、(54/56)×(54/50.7)で後者がピストン摺動面積2.7%大になり、ポート面積もこれに略比例して後者が大きくなります。その後の「ロングストロークの方がピストンスピードが高い分~~~」記述も?です。
(9月26日追記)RACERS Volume12(スズキRG500) 64頁では「'74年から~シリンダーのポートは、排気、吸気、掃気×2、ループ掃気の5ポートだった~54×54㎜のボア×ストロークとなった~年のXR14からは、ストロークが伸びたことを利してポート面積を広く取ることが可能になり 」とあります。

毎号購入しているRACERS。「今だから言える」記事があったり、当時見なかった写真があったりして、貴重なものですが、記述の誤りが散見されるのが残念です。それによって歴史が捏造されることになるからです。
https://twitter.com/alpensalz/status/536016639607590912
の「RACERSは、テクニカル風味のエンタメ本ですから…(笑)。そう割り切らないと、作れません。」を書かれたのが、本当にライター氏なのでしょうか?
そうだとするなら、間違いだらけの記事を開き直っているようですね。

本日発売でした。
細かいところはまだ読み込んでいませんが、最初のところで気になる記述。
●12頁
「'70年代中盤から’80年代初頭にかけて、全日本選手権ロードレースの頂点はF750選手権で、世界GP500に向けた大排気量マシンのフィールドであったが~」
言葉を省略しすぎで何を言いたいのかよく分らない。また国内規定はF750ではない。
「レースポイントの付与対象は20台以上販売する公認車両」
200台の誤り。「販売」は「200台販売可能」という解釈(市販車でも売れ残りがあるのだから)。TZ750やTZ500の国内販売台数が少ないので「200」を「20」の誤植と勘違いしたのか。あるいは「国内規定をF750と勘違い+認定可能生産台数25台を販売台数20台と勘違い」なのか。なお、F750世界選手権は1979年を最後に終了したが、その1979年には生産台数の規定は撤廃されていた。
「~'74年の販売以来、セニア750、その後エキスパート750と呼ばれていた~TZ750に乗っており」
TZ750が国内販売され公認されたのは1977年シーズンから。
●13頁
「'81年のスズキRG500の公認取得」
80年に公認取得(シーズン前だったのかシーズン序盤だったのか要確認)。
「'82年。スズキはXR35の市販バージョンと言われたRGBを駆る」
XR34の誤り。
「阿部孝雄」
孝夫。
●15頁
(写真説明)「XR35のフルコピーだった’82年型RGB500」
XR34の誤り。
「スクエア4のYZR500(0W54)~第2戦筑波」
0W60の誤り。また0W60の国内初登場は第3戦鈴鹿だった記憶。
●17頁
「'84年の水谷は~スズキから貸与された前年のRGΓを走らせる」
1984年型市販RGB500の誤り。88頁に(伊藤巧選手は)「’85年には~アルミフレームの’84水谷車(RGB改)にスイッチ」とある。
ちょっと読んだだけでこれだけ間違いを発見。間違いのレベルからすると、他の記述が大丈夫とはとても思えない。

続いてロードライダー誌 2015-8の記事です。
70頁
「排気タイミングを早めようとして排気ポート上縁を高くすると圧縮比が低下してしまう点だ」
「排気タイミングを早めつつ圧縮比を高めるのは難しい」
排気タイミングを早めると(それだけでは)圧縮比が低くなりますが、その圧縮比対策だけなら、上死点時の燃焼室容積をさらに小さくすればよいのです。
排気タイミングが早めて問題なのは(そのままでは)充填効率が低下するからです。
「圧力波というのは粗密波であり、負の圧力波=密度の谷と考えればよく~開いた排気ポート周辺に密度の谷ができれば、そこに向かって燃焼ガスが流れやすくなるのは容易に想像できる」
圧力=密度としています。それぞれの意味(物理化学上の)が全く理解されていないように思います。