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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ハンス・ゲオルク・アンシャイト(2)

の息子アヒム(Achim)・アンシャイトは車のデザイナーとして活躍中のようです。
Porsche Achim Anscheidt B AA 9117 H - Porsche Deutschland

父親そっくりですね。記事にあるように、デザイナーになる前はトライアルライダーとしても活躍していました。

  1分40秒辺りで、親子で写っています。


 レース引退後のハンス・ゲオルク・アンシャイトですが、オートスポーツ誌(三栄書房)1976-2-15からすると、BMWの下請(シート製造)工場を営んでいたようです。


 記事では「かつての2輪の王者H.アンダーソン(右)と語る小島氏(注:小島松久)アンダーソンは現在、BMW下請け(シート製造)会社を経営」とあります。アンシャイトをアンダーソンと間違えるような方が記事を書かれていますので、どこまで信用していいのか分りませんが。

表紙


該当頁


アンシャイト





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ハンス・ゲオルク・アンシャイト

ハンス=ゲオルグ・アンシャイトがMotoGP殿堂入り。1960年台にスズキで3連覇を成し遂げ活躍(オートスポーツweb) - Yahoo!ニュース


 式典の様子。
Hans-Georg Anscheidt MotoGP™ Legend Induction Ceremony | 2023 #GermanGP - YouTube

 画像等にスズキRK67Ⅱ(2ストローク50㏄2気筒)が写っています。1968年に入りスズキはGPからの撤退を発表しましたが、アンシャイトはスズキから貸与されたRK67Ⅱに乗り50㏄タイトルを手にしました。そのRK67Ⅱはまたアンシャイトの元にあるようです。

 記事の中で「1年目はランキング2位、2年目も2位で終えると、3年目は3位を獲得し、4年目からは50ccと125ccにダブル参戦。5年目の1966年にスズキとともに最初のタイトルを獲得すると、1967年、1968年に連続してチャンピオンに輝いていた」とあります。


 赤字のところについて補足します。

 アンシャイトは50㏄クラスのみクライドラーと契約していたのですが、1965年50㏄クラス、スズキ、ホンダが早くなりクライドラーではとても対抗できなくなってしまい、第4戦フランスを最後にクライドラーはレース活動を休止、アンシャイトは乗るマシンがなくなりました。

 
 レースに飢えていたアンシャイトは個人所有のMZ125(MZエンジンをクライドラーのフレームに搭載)したマシンでシーズン終盤のイタリアGPに出場し、5位入賞しました。

 そして、このイタリアGP直後にスズキから声をかけられ、最終戦日本GP50㏄にスズキ2気筒RK65で出場したのです。

 そして、1966年に向けスズキと50㏄クラスについて契約したのですが、125㏄のRT66も貸与され2GPを走りました。そして1967年も125㏄クラスで2GP走り、1968年も年間ランキング表からすると2GP走ったようです。

 これが「4年目からは50ccと125ccにダブル参戦」の125㏄参戦の実状です。

 アンシャイトが乗ったスズキレーサーについてはこちら。
 RK66 SUZUKI (ganriki.net)

 アンシャイトの自伝です。私は1975年に普通に本屋で注文して入手しました。
 アンシャイト・メニュー (iom1960.com)









 
 

薬剤師国家試験問題?

トナカイ on Twitter: "薬剤師国家試験で有名な「クソ問」と呼ばれているこの問題ですが、トナカイは割と気に入っている 先入観があると一般の人ですら分かる病気に対して間違った筋道を立ててしまうという、なんというか「現場あるある」を皮肉った、とても良い問題だと思います 皆さんは答えが分かりますか? https://t.co/kiuq7AEoJR" / Twitter


 コメントでいろいろ指摘されていて、そのとおりだと思います。ただ、(全部読んだわけではないのですが)潜伏期間については少ししか触れられていません。


ノロウイルスの潜伏期間は24~48時間です。
ノロウイルスに関するQ&A|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 腸炎ビブリオの潜伏期間は8時間から24時間
広報誌「厚生労働」|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 もちろん、潜伏期間には個人差があるのですが、全員が短時間に発症するとなると、ノロウイルス、腸炎ビブリオの可能性は非常に低いと考えられます。

 ちなみに、私はサルモネラ食中毒(新聞報道されました)に罹患したことがあります。私の潜伏期間は27時間でした。症状がかなりひどく入院し、原因飲食店から慰謝料もらいましたが、こりごりです。

空飛ぶ車

空飛ぶクルマ、沖縄を飛ぶ! 伊平屋島から野甫島まで無人飛行 国内初そしてアジア初 (msn.com)


【空飛ぶクルマ】沖縄県初・離島初 試験飛行に成功しました ~6月7日に沖縄県伊平屋島にて実施~ | 建設技術研究所のプレスリリース | 共同通信PRワイヤー (kyodonewsprwire.jp)
に、どこを飛んだのか示す地図があります。また、次のように書かれています。


(3)試験飛行において検証した事項

 今回の試験飛行を通して、4社は、今後の本格的な社会実装に向け、以下の事項を検証しました。

(4)今後の展開

 本試験飛行で得た知見を活かし、全国各地で実証実験の実施や商用運航の可能性を検討していく等、空飛ぶクルマの社会実装を通して、日本が抱える社会課題の改善・解決や新たな価値の創出を目指してまいります。

 (3)に「以下の事項を検証しました」とありますが、(4)が「以下の事項」なのでしょうか?何を検証したのかまったく分かりません。

  と思ったら、プレスリリースには検証事項がちゃんとありました。
平成24年4月4日 (kyodonewsprwire.jp)

①海上を含む2地点間飛行を行った際の運用上の課題等を把握すること。
②“空飛ぶクルマ”の離着陸場の計画、設計に関する知見を得ること。
③“空飛ぶクルマ”の離着陸場の運用を検討するに必要となるデータを取得し、課題を把握すること。
④“空飛ぶクルマ”の環境負荷(騒音等)を把握すること。
⑤“空飛ぶクルマ”の導入による社会的効果を試算すること。



 プレスリリースではよくわかりませんが、2島は橋で繋がっています。

 伊平屋島にはヘリポートもありますが、ヘリポートから野甫島の端まで7.4kmあります。この距離は飛べなかったのでしょうか。「往復2kmしか飛べません」を検証したのではないと思いますが。

マイク・ヘイルウッドが乗ったスズキXR22(RGA500)(加筆あり)

マイク・ヘイルウッドが乗ったとされるスズキXR22(RGA500)です。
Hailwood RG500 roars back into life for new Isle of Man TT Gallery (manxnationalheritage.im)

  動画57秒あたりでエンジン番号1001が見えます。TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008によると、イギリスに残っていたヘイルウッドのXR22のエンジン/フレーム番号は1001/1006で、動画のエンジン番号はこれと一致します。ですから動画のマシンのフレーム番号は1006でしょう。 

 このマシンをRGB500とする記事もあります。RGB500はXR27(1979年型)とXR34(1980年型)の公表名ですが、1979年TTに出場したマシンですからXR27ということになります。
 しかし、当時の記事でもヘイルウッドが乗ったマシンを1978年型、つまりXR22としていましたし、TEAM SUZUKIの記述もそうですし、何より今回の映像に写るエンジンはXR22に間違いありません。

・・・・・・・・・・・・・
 1967年マン島TTでホンダに乗り3クラス優勝したヘイルウッドはその後TTから遠ざかかり、11年後の1978年にマン島TTにカムバック、TT-F1でドゥカティに乗り優勝しました。

 そして、翌1979年、TT-F1で再びドゥカティに乗りますが、前年の優勝レースタイムより3分近く遅いタイムで5位、ホンダRS1000に乗るアレックス・ジョージが新記録で優勝します。なお、TT初出場のグレーム・クロスビーがモリワキ・カワサキ1000に乗り4位入賞しました。

 しかし、シニア(500㏄クラス)でヘイルウッドは1978年型スズキ500ファクトリーマシン・XR22(RGA500)に乗り見事優勝しました。

Mike Hailwood's 14th and final Isle of Man TT Win | Road Racing Legend - YouTube

  そしてクラシックTT、ヘイルウッドのマシン選択肢はドゥカティとXR22でしたが、当然XR22を選びます。そして、レースはホンダRCB1000のジョージと一騎打ちになりました。

  TTは2台ずつゼッケン順に10秒間隔でスタートするタイムレースですが、ヘイルウッドは3番目(ゼッケン6)、ジョージは5番目(ゼッケン9)スタートで、互いに相手を見ずにタイム上で大接戦を演じます。そしてジョージがそれまでのレース記録を2分30.4秒更新する2時間7.0秒で優勝、ヘイルウッドは彼にとって最後のTTで3.4秒差の2位でした。

U.K.: MIKE HAILWOOD FORCED INTO SECOND PLACE IN HIS LAST ISLE OF MAN T.T. RACE. - British Pathé (britishpathe.com)

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