レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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ドラフティングとも言います。
「富士スピードウェイ 最初の40年 1963-2003」(三木書房2005)59-60頁で1966年日本GP(二輪)が取り上げられています。記事は世界選手権最終戦としての日本GPばかりですが、60頁の写真は共催の日本選手権の350㏄クラススタート時のものです。
その写真説明
「4輪と比べてアンダーパワーである2輪はスリップストリームの効果が大きい。前車の背後に着ければピタリと付けば楽に走れる。これが富士での特徴」
この説明は誤りです。2輪と4輪の特性の差を著者は理解していません。
かつては、市販車の走行性能曲線等々が公表されていたので、1973年型ホンダCB360Tと1976年型ホンダアコード(5MT)を例にして考えます。
両車のエンジン出力、車重(ライダー(ドライバー)70㎏を含む)、重量出力比(W/P)は次のとおり。
出典
CB360Tの重量出力比はアコードの67%で、ゼロヨン加速時間は(重量出力比の1/3乗に略比例するので)12%程度小さくなります。
そして、両車の最高速は163km/h程度でほぼ同じです。
まさか、上の著者は「CB360Tがアコードよりエンジン出力が低いので、車重が小さくても「アンダーパワー」である」とは言わないと思います。
というようなことを書きかけています。
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「富士スピードウェイ 最初の40年 1963-2003」(三木書房2005)174頁に次のように書かれています。
「1974年夏の30度バンク廃止によって、富士スピードウェイのコースは右回り4.3kmコース一本に統一された。F1GP招致の際に改めて一周距離を測定したところ、4.359kmであることが判明した」
巻末の記録表を見ると、1976年10月10日の富士マスターズ250kmまでは4.3km、10月24日の「F1世界選手権 in Japan」(これが正式名称)以降は4.359kmになっています。
また、「富士スピードウェイ50年のあゆみ」(2016富士スピードウェイ)の記録集でも同様です。
しかし、1967年日本GP(二輪)を伝えるモーターサイクリスト誌1967-12、オートバイ誌1967-12、そしてライディングNo30(MFJ機関誌)では一周4.359kmとなっていますし、レース距離、平均速度も4.359kmで計算されています。
ですから、元々4.359kmだったが、1968年以降、富士スピードウェイ側が何等かの理由、気まぐれで4.3kmと公表していただけでないか、というのが私の考えです。
そして、記事の「測定したところ」は
〇再測定したが、やはり4.359kmだった
〇実際は測定していない
の何れかではないかと思います。
なお、4.359kmだったのは1983年までで、1984年シーズン以降、何回か変更されました。
我家に残る55年前の大阪万博の記録のごく一部です。
各館のスタンプを押した紙をノートに貼ったもの。
クボタ館ではコンパニオンさん?がメッセージも書いてくれました。
鈴木K子さんです。
ここには紹介しませんが、サインを頂戴した館もいくつかありました。
ちなみに入場料は小人400円(夜200円)でした。
見ました。鈴鹿サーキットの地形を取りあげるかと思ってましたが、結局、コース内とため池と周辺の水田→伊勢は米どころ、というだけでした。タモリさんが「ここ(サーキット)まで来る必要あったの?」というようなことを言っていたように思いますが、そのとおりでしょう。
また、解説者が「第1コーナー内側のため池はコースからできる前からあった」というように語っていましたが誤りですね。
これは工事開始直後の航空写真。赤色矢印がため池です。

この写真では白色矢印が指すのがため池かどうか判然としませんが、拡大するとため池ではないことがわかります。
そして、下は完成後4年たった1966年撮影の航空写真。赤色矢印は上と変わりませんが、白色矢印のところにため池があります。
鈴鹿サーキット完成間近の写真、全日本選手権(1962年)、第1回日本GP(1963、4輪)の映像を見ると、この池(第1コーナー内側の池)はないように見えます。
全日本選手権(1962)
第1回日本GP(1963、4輪)
当時のコース図(リンク)図(リンク)にもこの池はありませんので、この池はサーキット完成数年後に造られたものです。

1分10秒~:フーゲンホルツ案
1分59秒~:敷地境界が記入された地形図。コース(走路)は記入されていないようです。
鈴鹿サーキットのコースレイアウトは原案から最終案まで6案あり、案3がフーゲンホルツ案で案6が最終案です。
中島氏はこの動画について
「#ホンダ さん #鈴鹿サーキット さん、この図面を日本に招聘して鈴鹿サーキットの真の設計者がジョン・フーゲンホルツ氏であることを公式に認めて宣言されてはいかがですか?」
としていますが、オランダに残るコース図がフーゲンホルツ案であり最終案でないことは、最終案の設計者がフーゲンホルツではないことを示唆しています※。
※オランダに残るコース図が最終案だったなら、最終案がフーゲンホルツ設計ということではありません。ホンダから送付されたものである可能性があるからです。
そして、
〇塩崎設計の案1、案2の設計には立体パズルを解くような作業が必要だったこと
〇フーゲンホルツ案(案3)は案2を修正したものであること
〇フーゲンホルツ案の後の大幅変更に関してフーゲンホルツは助言者であったと考えられること
から、コースレイアウト設計者は「塩崎(フーゲンホルツは助言者)」と考えます。
ただし、コースレイアウトだけでなく、エスケープゾーン、フェンス、ピット、パドック、導線、等々、サーキットの概略設計についての設計者は「フーゲンホルツ/塩崎」だと考えます。
こちらの記事のとおりです。
https://jfrmc.ganriki.net/zakkan/suzuka/suzuka.htm