レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1960年代のGPの決勝は何日かに分けて行われることがありました。マン島はその典型ですが、例えば1965年であればマン島以外でも、US、ドイツ、東ドイツ、日本が2日に分けて行われました。しかし、MOTO-GP公式サイト中の http://www.motogp.com/en/Results+Statistics
の記録では、このことが全く無視されており、マン島ですら、全クラス同一日に行われたことになっています。
この公式サイトには、これ以外にも誤りがありますが、残念なことに、多くの資料がMOTO-GPのサイトの記録をそのまま安易にコピーしているようです。
実はHonda Motorcycle Racing Legend vol.3(2009八重洲出版)の公開公正を作成していますが、この本にもMOTO-GP公式サイトと同じ誤りがあります。「おそらく間違えているだろう」という箇所を間違えていますので、分りやすいといえば分りやすいですね。
出典はこちら
http://www.honda.co.jp/riki-san/talk14/
「一方Hondaでも、この「1958年」にはちょとした事件があった。イタリアから、本場ものの「ロードレーサー」が、社内にやってきたのである。その名は「モンディアル」 このメイクスは1954年頃からGPレースに参戦しはじめ、瞬く間にトップ・コンテンダーにのし上がった。そして、57年のマン島TTレースでは、125ccと250ccの両クラスで勝利していた。 」
125㏄クラスの1949~1951年のチャンピオンマシンは、FB-モンディアルなのですが・・・
続いて、出典はこちら
http://www.honda.co.jp/riki-san/talk15/
「これにつづけて、年が明けるとすぐに(1959年1月)、Hondaはマン島にTTレース参戦のための視察団を派遣する~
「ただねえ、この調査もチョンボだらけでさ!(笑)」
リキさんは、笑って付け加えた。
その最大のミステークは、この調査団がリサーチの対象としたのが、マン島の「マウンテン・コース」だったことである。
たしかにTTレースは、この有名な公道コースで行なわれる。しかし、このときHondaがTTレース初参戦でターゲットにしていたのは125ccクラスであり、このクラスは、もうひとつのマン島のレーシング・コース(公道)である、短い「クリプス・コース」でずっと行なわれてきたのだ」
クリプスコースは、125㏄、サイドカーは1954年から、250㏄クラスは1955年から用いられたが、まさかホンダが自社の出場するクラスのコースではなく、350、500㏄クラスのコースを調査するチョンボをしたとは思えないが・・・「1960年から全クラスマウンテンコースになって、1959年のクリプスコースの経験が無駄になった」ことと勘違いしているのでは。
1 タルキニオ・プロヴィーニ MVアグスタ 10周 118.5km/h
2 ルイジ・タベリ MZ 10周 117.8km/h
3 マイク・ヘイルウッド ドゥカティ 10周 116.2km/h
4 フューグナー MZ 10周 115.7km/h
5 カルロ・ウッビアリ MVアグスタ 10周 114.6km/h
6 谷口尚巳 Honda RC142 10周 109.9km/h
1位の平均スピードは74.06mph(マイル毎時)なので、1マイルを1.60934kmで計算すると119.2km/h、1マイル1.6kmとすると118.5km/hで、上は後者の計算と思われます。
ところが3位以下は、1マイル1.60934kmで計算したようです
2位の速度はどう間違ったのか分りませんが、間違い。正解は、1マイル1.60934kmで計算すると119.0km/hで、1マイル1.6kmとすると118.3km/h。