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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

1978年鈴鹿8時間耐久レースに出場したKR350

 1978年鈴鹿8時間耐久レースに和田正宏、清原明彦の手によりKR350が出場しました。予選では5位、そしてレースでも上位を走っていましたが、水ポンプ作動ギアが破損し、131周したところでオーバーヒートでリタイア。

 当時、世界GPは日本で開催されておらず、KR250/KR350が国内レースで走ったのは1978年までで、私がレースで走るKR250/KR350を見たのは1978年鈴鹿8時間耐久レースだけになりました。

 このレース、2ストロークマシンではTZ750が1台走りましたが、他はKR350を除けばヤマハTZ350/250、ホンダRS250R(空冷単気筒)が多く出走していました。この中でKR350はTZ350を問題にしない速さ、そして4ストローク1000ccマシンに迫る速さを見せ、「さすが世界GPマシン」と思ったものです。そして独特の排気音も記憶に残っています。もう43年も前のことですが、このレースの時にはKR350が2気筒同時点火ということを知っていた記憶です。


 これはレースの後、雑誌の特集記事の取材に供された8耐仕様のKR350。

 テールカウルのテールランプ、大型タンクキャップが確認できます。このタンクは8耐用の特別なものではなく、世界GPでもよく見かけたタイプです。ただし、通常は大型タンクキャップは装着されずに蓋がされ、蓋の中央部に小さなタンクキャップが取り付けられていました。

 8耐仕様車について、元カワサキ技術者の方が次のように書いています。

「8耐に出走させるためヘッドライト・テールランプを装着。ジャネレーターも装備、カウルの改修と外観だけは「8耐仕様」になったが、エンジンは基本的にGPスペックのままである」
1枚の写真・・・その8-真夏の祭典「鈴鹿8耐」  - Sam'sダイアリー (goo.ne.jp)

 他の写真からすると、カワサキはこのレースのために2台のマシンを製作したようです。上の写真のマシンはレース本番出場マシンそのものではないようですが、ジェネレーターは見当たりません。レース本番車には装着されていたのか、取材車は取材前に外されたのか、ジェネレーターを装着せずバッテリーのみで灯火を持たせる計画だったのかは分かりません。

 (続く)

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KR250/KR350エンジン(8)

 これはバルデの1978年型KR250のクラッチ周り。クラッチカバーに小孔が多数開いていますが、このクラッチカバーはKR250が1975年に初登場した時から変更ありません。

 また、黄矢印がネジ穴を示しています。このクラッチカバーの外側に別のカバーを取り付けるためのものですが、カバーは装着されることはありませんでした。


 
 これは1980年型KR250で、クラッチカバーに大穴が開いています。


 これは1983年に雑誌の取材に供された1982年型KR250のクラッチ周り。このクラッチカバーも大穴型です。


 1978年型と同様、使われないネジ穴が残っていることから、小穴型、大穴型のいずれも同じ鋳造型で、鋳造後の加工が異なるだけと考えられます。
 大穴型は1979年に初めて姿を見せますが、小穴型も最後まで用いられました。
 
 「使われなかった」といえば写真のアッパークランクケース後上端のフレームマウント部。

 
 601Aの写真でも、このマウント部は用いられていません。
(20+) Facebook

  公表写真の601Aの写真では、このマウント部がブラケットを介してフレームに吊り下げられています。

 しかし、1975年3月にデイトナで実戦デビューした601Aではこのマウント部は使用されませんでした。

 そして1977年以降、このマウント部は全く使われなくなりましたが、クランクケースに変更が加えられたのに、なぜかマウント部は残ったのです。

KR250/KR350エンジン(7)

 前回紹介したオーストラリアに残るKR350。
Team Kawasaki Australia KR350 Prototype – MCNews

 これはエンジン単体(エンジン番号:61ES TKA05)の写真。


 そして、これは1983年に雑誌の取材に供されたKR350エンジン。

 シリンダーヘッドの冷却水ジョイント取付部の少し前(写真右側)のリブがありません。

 KR350は1978~82の5シーズンを戦い、その間にはシリンダーポート数・形状等も変更されたでしょうが、エンジン外観はあまり変化していません。
 
 さて、1979年以前のKR250は前後一体のシリンダー/シリンダーヘッドで、1978年型ではシリンダーヘッドのサーモスタットハウジングの位置・形状がKR350と異なりますが、1979年型KR250ではKR350とほぼ同じ位置・形状になり、エンジン外観はKR350に近くなりました。
 しかし、依然として次の点が異なります。

〇スタッド前後ピッチ比(既述)
〇シリンダーヘッド右側の冷却水入口のジョイントの(シリンダーヘッドへの)取付角度 350の方が寝ている。
〇排気口上の2つのリブの相対角度(既述)
〇シリンダーの鋳込み文字
  250:シリンダー右前・左後に「249CC」
  350:シリンダー右前のみに「350CC」

  1978年型では、サーモスタットハウジングが識別点に加わります。

(続く)



KR250/KR350エンジン(6) 

 これは1978年夏頃に雑誌の取材に供された1978年鈴鹿8耐仕様KR350です。

KR250のシリンダースタッドボルトの前後ピッチ比
1975~81年型:1.4程度
1982年型  :1.8程度

ですが、1978年型KR350のスタッド前後ピッチ比は2.4程度です。シリンダーボアが250より10mm大きくなったことに伴いスタッド位置が変更されました。


 また、サーモスタットハウジングも1978年以前のKR250ではシリンダー左側中央部ですが、KR350では少し前に移動し、水出口が前気筒の点火プラグ横にあります。もちろん、ハウジングの形状そのものも異なります。

 さて、こちらの頁をご覧ください。オーストラリアに残るKR350です。
Team Kawasaki Australia KR350 Prototype – MCNews

 次の3基のエンジンの写真があります。

1 車体搭載エンジン エンジン番号:61ES-TKA01
2 エンジン単体     エンジン番号:61ES TKA05   
3 クランクケースのみ   エンジン番号:なし(本来の位置にはない)

 このうち3はKR250用クランクケースです。

「The bike originally featured a KR250 motor bored to 306cc.」
「In 1979 a full 350cc motor was installed and the bike was raced by Rick Perry in 1980, winning the 350cc ARRC.」

とあるので、3は306ccエンジンのものかもしれません。ストローク54.4mmで排気量306ccですと、ボアは59.8mm(305.6cc)、59.9mm(306.6cc)あたりになります。
 
  エンジン単体の写真(上記サイトの写真に加工)。


 青線で囲った部分のV字の2本のリブですが、小さい穴が開いていて、排気管を固定するスプリングを掛けるようになっています。このV字型リブは他の1978年型KR350でもはっきり観察でき、KR350は当初からこの形状でした。

 250ではV字ではなく2本のリブが平行です。下写真は1976年3月、スズカ BIG 2&4に出場したKR250。

 また、クランクケースの黄線で囲った部分の4本のリブがほぼ等間隔で並んでいるのに対し、上写真の250では等間隔ではありませんし、下写真のTE601-106(250㏄、左端(写真では下側)のリブはスタッドボルトの陰に隠れている)も、等間隔ではありません。

 
 また、250では赤矢印のリブが大きいのですが、上の350では小さいリブです。世界GPを走った350も同様で、これは1978年のカワサキUKチームのKR350エンジンで、黄矢印が指すリブがその奥のリブより小さいことが分ります。


 

(続く)

KR250/KR350エンジン(5)

 おそらくミック・グラントの1977年型KR250の「改良型」シリンダー。














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