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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS  Volume 42

http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm中、H1Rについて、次の文を追加しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ライダースクラブ1983-11によるとH1がデイトナ200に登場したのは1969年で、ライダーはデイブ・シモンズ(記事はランディ・ホールによる)。また、Kawasaki RACERS  by Ian Falloon, 2001 Haynesでは” Four modified  H1s made the starting line at Daytona only weeks after the bike was available”、"~in December 1969, a limited production road racer, H1-R, became available" したがって、「H1R」がデイトナに出場したのは1970年から。
  なお、この写真http://ozebook.com/bikes/wp-content/uploads/2014/03/daytona-69sm.jpgからはシモンズのマシンはH1RではなくA7Rにも見える。
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公開公正

結局、公開公正でRACERS Volume 42を取り上げました。すでにブログで書いた内容をまとめ、さらに加筆しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm

まあ、平松氏のF-1マシンのサスペンション云々の話は検証不足以前だと思います。

ライター氏の「当時のことを知らないにも関わらず記事にまとめるファイティングスピリット」には感心しますが・・・

RACERS Volume 42(6)

94頁、Morbidelliの写真説明で「木工業」となっています。

Italian Racing Motorcycles by Mick Walker, Redline 2000では、”During the 1960s the young Morbidelli built up a thriving woodworking machinery factoryc in his home town of Pesaro" とあります。つまり、「木工業」ではなく「木工機械製造業」。当時の雑誌でも木工機械メーカーとされていたし、現在でもMorbidelliの木工機械が製造されています。

 https://en.wikipedia.org/wiki/Morbidelliでは、”The firm began as a woodworking shop building furniture and wooden coach bodies for automobiles”となっています。これと同じ記述を他サイトでもよく見かけます。日本語版も、この記述がそのまま訳されています。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%87%E3%83%AA
 
こういうのを「誤りの拡大生産」というのでしょう。

なお、英語版の出典のリンク先http://www.is-it-a-lemon.com/modules.php?name=News&file=print&sid=747
では、ちゃんと”Giancarlo Morbidelli used his huge woodwork machinery firm to finance production of some superb race-bikes”となっています。

 
  

RACERS Volume 42(5)

http://jfrmc.tou3.com/%E9%9B%91%E8%AA%8C/racers%20volume%2042
でカワサキの技術者(当時)の平松氏の回想が誤りであることを書きました。
現時点での私の結論は次のとおりです。

1 平松氏は8月上旬、富士で行われたF1公開テストに行った。
2 走ったのはコジマKE007(長谷見選手)とティレル007(星野選手)。
3 平松氏はティレル007の前サスペンションに着目した。ティレルの前サスペンションは次のとおりで、ユニトラックと同じロッキングアーム。
 http://www.classiccar4you.com/classic-cars-gallery/?album=823&gallery=1286&pid=12460
4 平松氏はティレル007前サスペンションの形にヒントを得てユニトラックを設計。
5 ブラバム云々は全く別の話で、平松氏の記憶は2つの話をごちゃ混ぜにしたもの。





RACERS Volume 42(4)

8~9頁のマシンの大半が601Aで、左下のオランダGPのマシンが(後サスペンションアームが丸パイプなので)601Bとなっています。

実は1975年シーズン前のマシンには2種類あります。1つ目は、

このマシンが8~9頁の大半のマシンと同じです。ただし、デイトナでは後クッションユニットが変更されています。

2つ目はこちらのマシン。フジでテスト中でしょうか。
 
後排気管の取り回しが異なることにすぐ気が付くと思いますが、後サスペンションアームも丸パイプですし、フレーム自体も異なります。このマシンが9頁左下のマシンと思われます。

そんな訳で、ライター氏は当時のことをあまり知らないまま、想像で記事を書いているようなので、1975~76年の記述はあまり信用できません。本当に
1975年型:601A、
1976年型:601B
なのでしょうか。

1975~1976年型601A
1976日本GP~1977年型:601B
1978年型~:601C
のような気がするのですが。

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