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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Volume 42(2)

78頁に、平松氏、阿部氏が小島松久氏の誘いで、1976年10月のF1世界選手権イン・ジャパン(富士)に行き、そこで見たブラバムBT45のフロントサスペンションにヒントを得て、平松氏がカワサキKR250のユニトラックサスペンションを設計したことが書かれています。

一方、14頁には、「前年(1976年)秋の全日本・日本GPで'77年型プロトタイプ(ユニトラックサスが投入され」とあります。1976年の雑誌にも日本GPでのユニトラックサスペンションのKR250の写真が掲載されています。

さて
F1世界選手権イン・ジャパンは10月24日に開催されました。
二輪の日本GPは10月9、10日(250㏄クラスは9日)に開催されました。

したがって、78頁の記述は誤りです。

実は平松氏自身が勘違いしています。ロードライダー誌2010-4でも「富士のF1でブラバムのフロントリンケージを見たんですね。BT44だったかなあ」、「KE007とゆーF1マシンで富士に参加してたんでボクとアベを手伝いに来いと呼んでくれたんですよ~~~すぐに試作に入りました」とあります。後段は明らかに1976年のことです。RACERSのライター氏は、この記事をベースに「1976年だからBT44ではなくBT45」と修正したのでしょうか。
 
 BT44は1974年秋のF1デモ走行で走っています。
 KE007は1976年全日本F2000第3戦(決勝日は8月8日)の期間中にティレル007(星野)と共にテスト走行を行っています。これ以外にも富士でテストを行っていたでしょうが、BT44が走ることあったのでしょうか?それとも、平松氏がBT44を見たのは1974年秋のことなのでしょうか。

 このように「記憶」はいい加減なものです。
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RACERS Volume 42

Sound of ENGINE に行ってきました。その感想を書く前に、RACERSが発売されました。KR250/350ですが・・・いくつか気が付くことがありますが、取り急ぎ一つだけ。

86頁「シリンダーのFの文字も後期のものである(シリンダーの仕様はA~Fまでは順番通り、その後M/R/Sと進む)」

写真では、前シリンダー/シリンダーヘッドに「F」、後シリンダーヘッドに「R」とマジックペンらしきもので書かれています。このF、Rは単にfront、rearの略で、一度組みつけたシリンダー等を、前後で別々に管理していただけだと思います。

で、シリンダーを観察すると前:M-5、後:M-2と刻まれており、これが仕様を表していると思います。

オールドタイマー誌

オールドタイマー誌に現存する昌和クルーザーSL 125㏄が掲載されていました。現オーナーの富成さんが入手された経緯を知り、その熱意にも敬意を表する次第です。

記事で気が付いたことがあります。現存マシンのフェンダーの「L6」ですが、35頁の写真のゼッケン101のマシンにも書かれています。隣のマシンにも「L8]と書かれています。レーシングマシンでは、ナンバープレートのあるマシンと異なり、個体を区別するためにフレーム番号が重要になります。フレーム番号自体は大した意味がなくても、現場で区別するために意味があるという意味です。
1960年代のヤマハファクトリーマシンは125:RA~、250:RDですが、
    エンジン番号  フレーム番号
RA  A~        R~
RD  D~        R~
でした(「~」は数字)。

このマシンは「SL」なので、ヤマハの例に倣うなら、「L6」はフレーム番号ではないか、それを分りやすくするために(車体を識別しやすくするために)フェンダーに書いたのではないか、という気がします。そうならエンジン番号は「S~」になりますね。

なお、SL に関係ありませんが、33頁、コレダRBはピストンリードバルブではなくピストンバルブ、カウル付ではなくカウルなしです(カウル付は練習車RAです)。

RACERS Vol.41

買いました。
VTR1000SPW特集です。
http://www.geocities.jp/noda_keni/h/vtr1000/vtr1000spw.htm
です。

このあたりのマシンについてはよく知りません。そんなわけで楽しく読ませてもらいました。
車体の開発に関してはもちろん、90-630度間隔点火使用が基本的に用いられたことも初めて知りました。

細かいところでは
74頁の写真4写真説明「ラジエーターは~細かく分割されている」
→2分割でしたら普通ですから「細かく」とは言わないですよね。車体右下(写真向かって左下)のオイルクーラーを水ラジエーターと勘違いしたようです。

74頁写真5説明「タコメーターの6000回転付近にシフトポイントと思われる赤テープが貼られている」→68頁では「1万でシフトアップ~」とあります。耐久性云々としても6000は低すぎます。考えられる可能性としては、「レースではなく何らかのイベントで走った時の仕様」でしょうか。

バイカーズステーション(2)


前回の記事の続きです。

65頁の写真説明「1972年、ヤマハ契約ライダーとなったヤーノ・サーリネンは、市販レーサーTD-2ベースの水冷マシン(TD-3の先行開発車)を駆り、250㏄クラスチャンピオンを獲得。開発ライダー金谷秀夫も市販型TD-3(9月発売)で優勝」

何を勘違いしたのか分りませんが、正しくは「ヤーノ・サーリネンは、市販レーサーTD-3とTD-3ベースの水冷マシンYZ635(TZ250の先行開発車)を駆り、250㏄チャンピオンとなった。開発ライダーの金谷秀夫も第1戦にTD-3で優勝」

ライター氏は自ら作成した68頁の表が頭に入っておらず、ライター氏の頭の中では

     事実        ライター氏
1972  TD-3         TD-2
1973  TD-3、TZ250     TD-3(水冷)
1974  TZ250        TZ250

なのでしょう。TD-3の発売を1971年ではなく1972年9月と勘違いしたのでしょうか。まあ、ヤマハの公式サイトも、(おそらく外部ライター氏が)1972年の水冷マシンを「水冷化したTD-2でベルギーGPを走るJ・サーリネン」とするくらいですから、雑誌屋らしい誤りといえるかもしれません。

他にもいろいろありますが、一つだけ書きます。この雑誌の記事からするとTZ250の最終型が2003年型と思われる方が多いと思います。

実際には2003年型が継続生産され、2009年まで販売されました。

2007年型で標準装着ホイールがマルケジーニ鍛造になったこと以外は変更はなかったと思います。

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