119頁の「Riders Plofile」、ところどころ変な記述があります。例えば片山敬済の「翌'76年は~250㏄ランキング2位に。さらに’77年は250㏄ランキング4位になる傍ら、WGP350にも参戦して~ワールドチャンピオンになった」ですが、1977年に初めて350㏄クラスに参戦したかのように受け取れますが、1976年にも350㏄クラスに参戦しランキング7位でした。
また、高井幾次郎の「~’79年、'81にもWGP500にスポット参戦した。最高位は’79年オランダGPでの14位だった」ですが、1978年スペインにも出場しましたし、最高位は1979年スウエーデンGP、1981年イギリスGPの8位です。
ところで、水谷勝が1986年オランダGP、ベルギーGPに出場したのに、この本で取りあげられていないのは? フル参戦、フル参戦に近い参戦でないというなら、なぜ藤原儀彦は取りあげられたのでしょうか?
SUZUKI XR
に次の文を書いていました。
スズキの一般市販車の部品番号は上の写真の部品番号と同様、「○○○○○-△▽▲○◎」という方式であり、△▽▲が機種、○◎が仕様変更、○○○○○が部品の部位(例:「11111」がシリンダーヘッド)を示している。1966年以前のレーサーの部品番号体系はこれらとは全く異なるので、スズキの部品番号体系が1967年から市販車、レーサー共に変更されたものと思われる。レーサーの部品番号体系上の機種記号として、R(レーサー)、そして開発順に01、02と番号を付けたようだ。そして、1969年頃に「R」の前に「X」を付け加えた新たな機種記号が始まった。記念すべき最初のXR01は4輪のLC10(フロンテ)用キットパーツである。
この文の下に次の文を加筆しました。
スズキ社内報1966-10(No59)によると、部品番号体系の変更日は次のとおり(2025年10月加筆)。
1966年10月1日 図面関係、部品発注伝票
1966年11月1日 部品納入伝票、部品管理(資材課)
1967年4月1日 サービス関係